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飛鳥井家(あすかいけ)は、藤原北家師実流(花山院家)の一つである難波家の庶流である。家格は羽林家。 == 歴史 == 鎌倉時代前期、難波頼経の子雅経に始まる。代々和歌・蹴鞠の師範を家業とした。頼経の父難波頼輔は本朝における蹴鞠一道の長とも称された蹴鞠の名手であったが、孫の飛鳥井雅経も蹴鞠に秀で、飛鳥井流の祖となった。鎌倉幕府2代将軍源頼家も蹴鞠を愛好して雅経を厚遇し、一方で雅経は後鳥羽上皇に近侍し藤原定家などとともに『新古今和歌集』を撰進し、和歌と蹴鞠の師範の家としての基礎を築いた。 応仁の乱で、一族が近江国や、長州に移住し、家業を広めた。 室町時代には将軍家に近侍した雅世・雅親父子が歌壇の中心的歌人として活躍した。飛鳥井雅世は、『新続古今和歌集』の撰者となり、飛鳥井雅親は、和歌・蹴鞠のほかに書にも秀で、その書流も蹴鞠と同じく飛鳥井流と称される。雅親の弟・飛鳥井雅康(二楽軒)も歌人としての名声が高く、足利将軍家や若狭守護武田元信などの有力な武家と深い親交があった。 戦国時代から江戸時代初期にかけての当主であった飛鳥井雅庸は、徳川家康から蹴鞠道家元としての地位を認められた。江戸時代の家禄は概ね928石であった。幕末の飛鳥井雅典は武家伝奏をつとめている。 明治維新の後、飛鳥井雅望の時伯爵に列せられた。また、明治維新に伴い、邸宅は東京に移転したが、それに伴い空き地となった邸宅跡に創建されたのが白峯神宮である。飛鳥井家が蹴鞠の師範だったこともあり、境内地に地主社として蹴鞠の守護神が祀られており、現在はサッカー・球技全般の神とされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「飛鳥井家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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