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飛龍丸(ひりょうまる)は、小倉藩・江戸幕府及び日本海軍(軍務官所管)の運輸船である。 == 船歴 == === 小倉藩時代 === 元は1858年(安政5年)〔『日本近世造船史 明治時代』による。『日本海軍史 第7巻』によるとニューヨークで元治元年(1864年)竣工。〕に竣工した木製汽船でアメリカ商船PROMISE。慶応元年(1865年)にイギリス人から小倉藩が購入して「飛龍丸」と命名した。 二檣の帆装と蒸気機関を有し、推進装置はスクリュー・プロペラ方式であった〔北九州市立歴史博物館所蔵の本船の絵画(『豊前市史 上巻』1034頁掲載)による。〕。 元来商船であったが、第二次長州征討に際して小倉藩砲術方・門田栄の献策により砲2門を搭載〔『愁風小倉城』214頁、235頁。〕。船将・丹村六兵衛の指揮で慶応2年(1866年)7月(旧暦、以下同様)の門司・赤坂の戦いに参戦し〔『北九州市史 近世』896-901頁。〕、上陸した長州軍勢への砲撃や、長州側策源地と見られた彦島への砲撃を行っている〔『小倉藩の終焉と近代化』23頁。〕〔この戦いに参戦した幕府所属艦(富士山丸・回天丸等)は総指揮官の老中・小笠原長行が陸上砲台との交戦の不利を回避する姿勢だったのに対し、自領に侵攻されている小倉藩は独自に本船を使用して機動的に反撃を実施した。幕府所属艦の艦長らから本船に対し、命令に従うよう申し入れがなされるほどだったという(『世界の艦船』2007年9月号(NO.679)114-117頁)。〕。 蒸気の昇騰には時間を要したが、速力は速く、行動は俊敏だったという。 第二次長州征討の敗戦により小倉藩は極度の財政難に陥り、本船の修理費・年賦購入代金残金を負担できなくなったことから、小倉藩は本船を幕府に献上し、これらの費用も幕府が代わって負担することとなった〔『小倉藩の歴史ノート』154頁。〕〔『北九州の歴史』154頁。〕。幕府側では購入として取り扱われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「飛龍丸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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