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飢えたライオン : ミニ英和和英辞書
飢えたライオン[うえたらいおんはみをなげだしてかもしかにおそいかかる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

飢え : [うえ]
 【名詞】 1. hunger 2. starvation 
ライオン : [らいおん]
 【名詞】 1. lion 2. (n) lion

飢えたライオン : ウィキペディア日本語版
飢えたライオン[うえたらいおんはみをなげだしてかもしかにおそいかかる]

飢えたライオンは身を投げ出してカモシカに襲いかかる』(うえたライオンはみをなげだしてカモシカにおそいかかる、)は、アンリ・ルソーの1905年の大きな絵である。
前年の『トラに襲われる斥候』に続いて、『飢えたライオン』は、1891年の絵『熱帯嵐のなかのトラ』に対する一般の否定的な受け止められ方によって10年間、中断したのち、ルソーがこのジャンルに復帰したことを印づける、2作目のジャングルの絵であった。
表題になっている「飢えたライオン」は、深紅色の夕陽に照らされた濃緑色の葉群のジャングルの景色の中で中心的な役割を演じている。
前景では、ライオンがカモシカの頸に深く噛みついている。
ほかの動物らが深い下生えのなかに見える:
右からはヒョウが見守り、中央ではフクロウがくちばしに肉片をくわえたまま背景のなかから見つめており、その左には2羽目の鳥がいて、左側には鋭い目つきをした無尾猿のような姿がひそんでいる。
ルソーは、中央のひと組の動物を、パリ国立自然史博物館の「カモシカをむさぼり食うセネガルのライオン」という剥製のジオラマを基にして描いた。〔Henri Rousseau: Jungles in Paris , Tate Gallery, 3 November 2005 - 5 February 2006. Retrieved 2 September 2009.〕〔Stumble in the jungle , Adrian Searle, ''The Guardian'', 1 November 2005. Retrieved 2 September 2009.〕
ルソーのジャングルの絵の第1作『熱帯嵐のなかのトラ』は、絵画彫刻アカデミーに拒絶されたが、しかし彼はそれを1891年のアンデパンダン展に出品することができた。
高まりつつある名声にもかかわらず、ルソーは、毎年のアンデパンダン展に出品しつづけたが、しかし『飢えたライオン』は、1905年、アンリ・マティスおよびアンドレ・ドランの作品とともに、第3回のサロン・ドートンヌで初めて展示された。
ルソーは、絵に添える長めの副題あるいは説明文を書いた:
雑誌『L'Illustration』は、マティス、ドラン、セザンヌおよびヴュイヤールの作品とともに、1905年11月4日号にこの作品を掲載した。
1905年のサロン・ドートンヌで展示されたアヴァンギャルドな諸作品は、美術批評家ルイ・ヴォークセル(Louis Vauxcelles)によって、グラン・パレの同じ室で展示されていたルネサンスの彫像と対照され「Donatello au milieu des fauves!」(ドナテッロがフォーヴ(野獣)のなかに!)と非難された。〔Chilver, Ian (Ed.). "Fauvism" , The Oxford Dictionary of Art, Oxford University Press, 2004. Retrieved from enotes.com, 2 September 2009.〕
ヴォークセルの評言は1905年10月17日付けの日刊紙『Gil Blas』に掲載され、ここからフォーヴィスムという用語は、強烈な色彩のなかに見せかけの単純さを有する、展示された作品の型に用いられるようになった。〔〔Henri Rousseau: Jungles in Paris; Room 6 , Tate Gallery, 3 November 2005 - 5 February 2006. Retrieved 2 September 2009.〕〔John Elderfield, The ''"Wild Beasts" Fauvism and Its Affinities,'' 1976, Museum of Modern Art, ISBN 0-87070-638-1, p.43.〕
ルソー自身はフォーヴィスムの画家の数のなかに入れられなかったけれども、「フォーヴィスム」という用語自体は、ルソーの『飢えたライオン』によって直接、影響を受けたかもしれない。
見かけの単純さにもかかわらず、ルソーのジャングルの絵は、青々と生い茂ったジャングルをとらえるために、緑色の多数の色合いを用いて、複数層で細心すぎるほど、組み上げられている。
ルソーの作品は1910年の彼の死去まで、そして死後、批評家らによって嘲笑されつづけたが、しかし彼は同時代人のなかに追随者を勝ち得た:パブロ・ピカソ、アンリ・マティス、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックはいずれも彼の作品の讃美者であった。
『飢えたライオン』はいま、バイエラー財団によって所有され、スイスバーゼル近くのリーエンにあるそのギャラリーで展示されているが、1905年、パリのアンデパンダンで展示された。
== 脚注 ==



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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