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飯尾尚清 : ミニ英和和英辞書
飯尾尚清[いのお ひさきよ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [めし]
 【名詞】 1. (sl) meals 2. food 
: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 
: [なお]
  1. (adv,conj) (uk) furthermore 2. still 3. yet 4. more 5. still more 6. greater 7. further 8. less 

飯尾尚清 : ウィキペディア日本語版
飯尾尚清[いのお ひさきよ]

飯尾 尚清(いいのお ひさきよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将織田氏の家臣。尾張国奥田城北島城主。赤母衣衆の一人。
は信宗とも伝わるが、尚清が正しいとされる〔『沢野井文書』〕。弘治2年(1556年6月26日、父・飯尾定宗と共に、尾張守山城攻めに従軍。永禄3年(1560年5月桶狭間の戦いで父や大叔父・織田秀敏と共に鷲津の砦を守るが、今川軍に敗れて父は討ち死にし、尚清は敗走。以後は信長の馬廻となり、同年、母衣衆(赤母衣衆)に加わった〔。石山合戦三木合戦などでは検視役を務めた。どちらかといえば吏僚的な活躍の方が多い。
天正2年(1574年7月伊勢国長島一向一揆に参戦した〔『信長公記』〕。天正10年(1582年)、本能寺の変では長男・敏成が討ち死にした。信長の死後は、その次男・織田信雄に仕え、2200貫文を知行する。のち羽柴秀吉に仕えた。天正15年(1587年)、正五位上〔。天正18年(1590年)、従四位下侍従に任じられる〔。
天正19年(1591年)2月22日に死去。享年63。家督は弟・重宗(敏宗)が継ぎ、次男・宗敏は重宗の猶子となっている。
== 脚注 ==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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