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飯尾 為男(いいお ためお、1933年10月15日 - )は、愛媛県新居浜市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、28ページ〕出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 == 来歴・人物 == 新居浜東高校を2年で中退し、1951年に大映スターズに入団。同年から一軍で登板している。には36試合に登板し、一軍に定着。同年は、3勝を挙げ防御率2.57を残す。翌1955年にも37試合に登板し、防御率2.67を記録したが、打線の援護に恵まれず13敗を記録している〔。 シーズン前に高橋ユニオンズに移籍。主力選手として47試合に登板するも、当時のパ・リーグ記録となる13連敗を記録し、3勝16敗に終わっている〔。シーズン前に、高橋ユニオンズと前年まで所属していた大映スターズが合併。この合併の際、東映フライヤーズに移籍。移籍初年度となった1957年は、47試合に登板し、10勝10敗、防御率2.52を記録する。同年に記録した10勝は、飯尾の現役時代唯一の二桁勝利であり、防御率などを含め、自己最高の成績を残している。は調子を落として、17試合の登板に終わるが、翌には自己最高の52試合に登板し復活。防御率3.09で9勝12敗を記録した。また、同年にはオールスターにも出場している〔。シーズン開幕前に10年選手制度を利用して毎日大映オリオンズに移籍。1960年は32試合に登板し、5勝4敗、防御率3.03を記録するが、翌は僅か7試合の登板に終わる。同年オフに、福塚勝哉と共に、土井豊・高井良一男との2対2の交換トレードで阪神タイガースに移籍。移籍初年度となったこそ、主に中継ぎで17試合の登板に留まりながらも、防御率2.57を記録したが、翌は12試合の登板で防御率4.70と大きく成績を落とし、同年オフに退団した。 選手生活を通して勝ちに恵まれない投手で、13年間の現役時代に勝ち越しを経験したのは、との2シーズンのみ、しかも両シーズンとも勝ち越し数は1勝であった。通算記録でも、通算防御率3.10でありながら、通算勝利数が35勝に対して通算敗戦数が倍の70敗を記録している。 投手ではあったが、一軍で外野手として3試合、遊撃手として1試合に出場した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「飯尾為男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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