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飯島綾子 : ミニ英和和英辞書
飯島綾子[いいじま あやこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [めし]
 【名詞】 1. (sl) meals 2. food 
: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [あや]
 【名詞】 1. (1) figure 2. design 3. (2) twill weave 4. pattern of diagonal stripes
綾子 : [りんず]
 (n) figured satin
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

飯島綾子 : ウィキペディア日本語版
飯島綾子[いいじま あやこ]

飯島 綾子(いいじま あやこ、1907年〔都新聞 昭和11年10月10日付・7頁『結婚八年の恋が実を結びました』。記事によると当時綾子は三十歳(数え年。満年齢29歳または28歳)とある。〕 - 1954年9月25日)は、日本舞台女優日本舞踊家歌手声優。主に戦前昭和初期に活躍した。本名は飯田 日出子(いいだ ひでこ)〔『舞踊年鑑』(昭和15年・東京舞踊ペン倶楽部編)、『藤間会 昭和16年度』(早稲田大学坪内博士記念・演劇博物館所蔵)より。ただし後者では本名「飯田日出」となっている。〕。舞踊家としては藤間 勘秀(ふじま かんひで)〔読売新聞 1933年(昭和8年)10月24日付。「藤間流勘秀と同人(同一人物)である」との表記がある。〕を名乗る。元夫は俳優の三島雅夫
== 人物 ==
東京府東京市赤坂区(現・東京都港区赤坂)出身。幼少時に父親を亡くし、仕立物で生計を立てる母親のもとで育つ〔『演劇風聞記』(世界文庫・1965年刊)p16〕。
1921年(大正10年)に帝国劇場付属技芸学校(旧・帝国女優養成所。女優川上貞奴の創立した養成所)の7期生〔朝日新聞 1923(大正12)年11月15日付。ここでは「帝劇七期生」と表記されている。〕として入学し、1923年(大正12年)に卒業。同期に女優の河原崎しづ江(山岸静江→山岸しづ江)・舞踊家の吾妻徳穂(藤間春江)らがいる。なおこの養成所は彼女らが卒業した年に関東大震災が発生したためこの期を最後に解散している。
養成所を卒業後は劇団芸術座に入団〔朝日新聞 1925(大正14)年7月27日付。〕。大正の末期から舞台に立っており、児童劇を中心に精力的に活動した。俳優・井上正夫の愛弟子でもあり、1926年には井上主演のサイレント映画狂った一頁』に出演している。
1928年(昭和3年)には築地小劇場に客演。翌年1929年(昭和4年)には築地小劇場演技部の一員として正式に入団し、築地小劇場が独自で発行していた情報冊子『築地小劇場』4月号に劇団員として名前が連ねられるようになる。しかし同誌の7月号では、これまであった劇団員一同の中に彼女の名前が無くなっているのでおそらく同年6~7月までには退団したようである。
その後再び古巣である帝国劇場に舞い戻り、技芸学校の同期生らとともに舞台を踏むこととなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「飯島綾子」の詳細全文を読む




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