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飯沼貞雄 : ミニ英和和英辞書
飯沼貞雄[めし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [めし]
 【名詞】 1. (sl) meals 2. food 
: [ぬま]
  1. (n,n-suf) swamp 2. bog 3. pond 4. lake 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

飯沼貞雄 ( リダイレクト:飯沼貞吉 ) : ウィキペディア日本語版
飯沼貞吉[いいぬま さだきち]

飯沼 貞吉(いいぬま さだきち、嘉永7年3月25日1854年4月22日) - 昭和6年(1931年2月12日)は白虎隊士(士中二番隊所属)、通信技師、軍人。維新後は名を貞雄と改め、逓信省通信技師となる。後に孤舟、孤虎と号した。軍人としての最終階級は陸軍大尉。栄典は正五位勲四等。
年齢を偽って白虎隊に参加したが、戦い利あらず、飯盛山にて他の十九士と共に自刃に及んだが、死に切れず命を救われた。維新後は貞雄と改名し、逓信省の通信技師として各地に勤務し、日清戦争にも従軍した。1931年(昭和6年)2月12日、77歳で生涯を終えた。戒名は、白巖院殿孤虎貞雄居士。
== 生涯 ==

=== 出生 ===
嘉永7年(1854年)3月25日、会津藩士・飯沼時衛一正の二男として郭内本二之丁と三之丁間、大町通りにて生まれる。時衛は物頭を務め、家禄450石、家紋はからおしきにちがい鷹羽。母文子は西郷十郎右衛門近登之の娘で、玉章(たまずさ)という雅号を持つ歌人でもあった。家族は、両親と兄の源八、妹のひろ、弟の関弥会津松平家家宰)。他に祖父の粂之進、祖母、曾祖母、叔父、下男下女が同居していたという。会津藩家老・西郷頼母の妻千重子は父の妹〔『会津白虎隊のすべて』新人物往来社(2002年)〕。山川大蔵(浩)、山川健次郎大山捨松山川二葉らの山川兄弟姉妹は従兄弟(母同士が姉妹)。
10歳で藩校日新館に入学。二経塾一番組に編入され、15歳で止善堂に入った。学業・武術ともに優秀で、白虎隊編成時はまだ15歳だったが、長身だったせいもあり、嘉永6年生まれの16歳と年齢を1歳偽って申請し入隊できた(従兄妹の山川健次郎は同年生まれであるが、幼年白虎隊だった)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「飯沼貞吉」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Iinuma Sadakichi 」があります。




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