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飯田吉次郎 : ミニ英和和英辞書
飯田吉次郎[いいだ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
・
飯
: [めし]
【名詞】 1. (sl) meals 2. food
・
田
: [た]
【名詞】 1. rice field
・
次
: [つぎ]
1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station
飯田吉次郎 ( リダイレクト:飯田俊徳 ) : ウィキペディア日本語版
飯田俊徳[いいだ としのり]
*明治時代、鉄道敷設に従事した元長州藩士。本項で記述する。
*昭和時代の
医学博士
。上記の人物の孫。
----
飯田 俊徳
(いいだ としのり、
1847年
8月5日
(
弘化
4年
6月25日
) -
1923年
(
大正
12年)
8月27日
)は、日本の鉄道の父といわれる
井上勝
らと共に、日本の鉄道敷設に努めた
明治時代
の
官僚
、
技術者
である。
山口県
萩市
出身。
元長州藩士
。
== 概要 ==
萩藩
大組
飯田家の子として生まれた。はじめは吉次郎といった。
藩校
明倫館
に学んだ後、
吉田松陰
・
大村益次郎
らに師事する。
高杉晋作
率いる
奇兵隊
にも所属していた。
1867年
(
慶応
3年)
12月
、藩命で
長崎
・
米国
・
オランダ
へ留学した(この時飯田と共に派遣されたのが、松下村塾時代の同期生でもあった
渡辺蒿蔵
)。帰国後、
工部省
鉄道局
に入局。
1877年
(
明治
10年)、大阪停車場(現
大阪駅
)構内にて日本最初の鉄道技術者養成機関として設立された
工技生養成所
で教鞭を執り、多くの日本人技術者らを育て上げる。
翌年、
東海道本線
京都
・
大津
間にて
逢坂山トンネル
建設の総監督を務め、2年後完成させた。これは、日本人のみの手で施工されたものとしては最初のトンネルである。
その後も、東海道本線をはじめとする
東海地方
・
関西地方
の数々の鉄道敷設を主導し、
1890年
(
明治
23年)には鉄道庁部長となるが、3年後
鉄道国有化問題
で退職。
晩年は長男新の住んでいた
愛知県
豊橋市
に隠居し、そこで没した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『
ウィキペディア(Wikipedia)
』
■
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「飯田俊徳」
の詳細全文を読む
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