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飯田 精太郎(いいだ せいたろう、1885年(明治17年)9月8日 - 1952年(昭和27年)3月7日〔『平成新修旧華族家系大成』上巻、83-84頁。〕)は、日本の鉄道技術者、政治家、華族。貴族院男爵議員、参議院議員。 ==経歴== 山口県出身。陸軍士官・飯田俊助、マサ夫妻の長男として生まれる〔〔『人事興信録』第14版 上、イ92頁。〕。1907年、京都帝国大学理工科大学電気工学科を卒業〔〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』63、244頁。〕。父・俊助の死去に伴い、1914年4月23日、家督を相続し男爵を襲爵した〔〔『官報』第519号、大正3年4月24日。〕。 1908年、臨時台湾工事部嘱託に就任〔。以後、臨時台湾工事部技師、鉄道技師、鉄道省新橋電力事務所長、同東京電気事務所長、同電気局長、運輸通信次官、技術院参与、鉄道電気工業 (株) 相談役、鉄道電化協会会長、鉄道会議議員、工作機械製造事業委員会委員、帝都高速度交通営団評議員、産業設備評価中央委員会委員などを務めた〔〔。 1935年12月、貴族院男爵議員に選出され、公正会に属して1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した〔。 戦後、1947年4月、第1回参議院議員通常選挙に全国区から出馬し当選(任期3年)〔。緑風会に属し、参議院電力問題に関する特別委員長を務めた〔。次の第2回通常選挙には出馬せず、参議院議員を一期務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「飯田精太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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