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飯篠長威斎 : ミニ英和和英辞書
飯篠長威斎[めし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [めし]
 【名詞】 1. (sl) meals 2. food 
: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 
: [とき]
 【名詞】 1. meals exchanged by parishioners and priests 

飯篠長威斎 ( リダイレクト:飯篠家直 ) : ウィキペディア日本語版
飯篠家直[いいざさ いえなお]

飯篠 家直(いいざさ いえなお、1387年元中4年) - 1488年5月26日長享2年4月15日))は、室町時代中期から後期にかけての武将剣豪。日本武道の源流の一つである天真正伝香取神道流の創始者。「日本兵法中興の祖」(中興刀槍の始祖)〔『本朝武芸小伝』。〕ともいう。号ないし法名を長威斉、長意。官名を山城とする。〔『関八州古戦録』。〕弟子には、松本政信塚原安幹諸岡一羽など。
== 生涯 ==
元中4年(1387年)、下総国香取郡飯篠村(現・多古町飯笹)の郷士である飯塚金兵衛の子として誕生。
はじめ千葉氏に仕えたが、康正元年(1455年)、千葉氏18代当主千葉胤宣馬加康胤の裏切りに遭い、千田庄(現在の多古町)に逃れるも自刃して果て、千葉氏宗家は滅亡した。千葉氏宗家に仕えていた家直は、この様を目の当たりにし武芸をもって武士として生きることに虚しさを覚え、そして「武術とは互いに血を流し合う“戦さ”のためのものではない」という信念のもと、剣の極意、武術の奥義を究めるための修行に打ちこんだ。
家直は、武神経津主神を祀る香取神宮の奥の宮に近い梅木山に篭り、1千日の厳しい修行の末、「兵法とは平和の法なり」との悟りを得たとされる。この修行で梅の古木の上で「汝、後に天下剣客の師とならん」と経津主神の啓示を受け、一巻の神書を与えられたとし、このことから経津主神に由来する名を冠した「天真正伝香取神道流」を創始した。
なお、家直は「天真正伝香取神道流」を創始するにあたり、古くからの剣術の流派として香取神宮鹿島神宮神職に伝承されていた「香取の剣・鹿島の剣」を元にし、それまで決まった「型」の無かった日本武術の世界において、百般に亘る武道の原型を体系化した。また、「真実の武道は人の心にあり、人の道である。心の中が善であれば、武芸は人を助け世の中を平和にする。したがって自分自身を完成された人間に近づける努力をしなければならない」と門人たちに諭し、心身鍛練の術として武士から庶民まで広く教えたとされる。
晩年は如意山地福寺千葉県香取郡多古町)を創建したといわれ、長享2年(1488年)に死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「飯篠家直」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Iizasa Ienao 」があります。




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