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飯道寺 : ミニ英和和英辞書
飯道寺[はんどうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [めし]
 【名詞】 1. (sl) meals 2. food 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 

飯道寺 : ウィキペディア日本語版
飯道寺[はんどうじ]

飯道寺(はんどうじ)は滋賀県甲賀市にある天台宗寺院。山号は金奇山(こんきさん)。
== 歴史 ==
滋賀県甲賀市の飯道山(はんどうさん、標高664メートル)がそびえている。山上に鎮座する飯道神社の祭神として穀物神の宇賀御魂神および、弁才天を習合する飯道権現が挙げられている(『飯道寺古縁起』)こと、飯道山を水源とする水への民俗信仰が伝わることから、山麓住民による分水信仰があったことがうかがわれる。また、紫香楽宮の造営や奈良東大寺大仏殿の修覆に際して、信楽杣産の木材が用いられたことに因み、飯道権現を信楽杣の森林支配の神とする国家の承認があったと見られている。こうした背景により、飯道山にあった飯道神社および飯道山は重要な修験道の霊場であり〔この段落、ここまで平凡社363 による〕、山岳仏教の道場としての色彩をも帯びていた〔「角川日本地名大辞典」編纂委員会568 〕。山上に残る僧房跡には高野山中興といわれ、慶長13年(1608年)にこの地で没した木食応其の墓がある。
飯道寺は、飯道神社の神宮寺で、『飯道寺古縁起』(室町時代)や『興福寺官務牒疏』、『飯道寺縁起』(承応3年〈1654年〉)などの古記録・縁起類は、役行者によって開基され、和銅7年(714年)に安敬(安交)により中興されたと伝えるが、史実としての起源は定かではなく、紫香楽宮遷都や飯道神社が神階を得たことなどをきっかけに集まってきた優婆塞や沙弥のような山林修行者や、金勝寺に関係する僧らの働きによるものと考えられている〔平凡社364 〕。南北朝期には山上に「飯道寺城」なる城郭が築かれ〔、建武4年(1337年)には佐々木道誉に従う、山中道俊山中頼俊柏木原蔵人らが軍忠を行った〔。
中世から近世初期にかけては飯道山における修験道後述)の全盛期であり、天正9年(1581年)には織田信長津田信澄が入山し、同年11月27日には信長から寺領を安堵されている。室町時代初期には僧房58宇を数え、江戸時代初期にもなお55宇を算し、近隣の宮町村に200の寺領があった。しかしながら、享保19年(1734年)には梅本院・岩本院の2つの院の他には住僧も無くなり、衰退を示しつつあった〔。
明治時代を迎えて神仏分離がなされると、廃寺となったが、後に滋賀県甲賀郡水口村の天台宗寺院・本覚院により再興された。本覚院の前身と見られる寺院は、延宝7年(1679年)の検地帳に見られる普賢院宝持坊と見られ、享保11年(1726年)付の古文書に山王権現の社僧として本覚院の名が見られることから、この間に改称したと見られる。神仏分離に伴い、別当職から退いたが、村内にあった常福寺という村堂が廃寺となった折に、その本尊を受けついだ。1892年(明治25年)、本覚院は号を金奇山飯道寺にあらため、近世以前の飯道寺の法燈を継いだ〔この段落、平凡社363 による〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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