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飯野 吉三郎(いいの きちさぶろう、1867年 - 1944年2月3日)は美濃国(現岐阜県)の岩村藩士族出身の新興宗教家。皇室や政界・軍人に取り入り、後に「日本のラスプーチン」と呼ばれた。 == 略歴 == 岩村藩士・飯野益衛の三男として生まれる。祖父は馬廻を務め60石取、曾祖父は御側御用人を務め100石取という小藩では上級武士に属する家系の出身であったが、廃藩置県により家職を失う。また、若いときに父が病没し早くに自立の必要に迫られたため、20歳の時に上京した。 その後、何を生業としていたかは不明であるが、しばらくしてから麹町に家を構え、占い師となった。元々大柄で独特の音声を発することから話術に妙な説得力があり、占い師に向いていたという。やがて、同郷の有名人であった下田歌子を頼り、その紹介で皇室や政界に食い込むようになる。 特に1904年(明治37年)に児玉源太郎の依頼に対し、日本海海戦での勝利を時間場所まで正確に当てたことから、多数の貴顕の信任を得るようになる。それで得た金を金原明善と組んで満州へ投資し、これも当たったことから莫大な財産を得る。それを元手にし、東京・穏田に1,000坪の土地を購入してここに新興宗教団体「大日本精神団」を設立。住居から「穏田の神様」「穏田の行者」ともいわれた。 しかし、1925年(大正14年)、白木屋事件、旭事件などの詐欺事件に荷担していたとされた。証拠不十分で不起訴となったものの、以前から乱行が噂されて世間から見放されていたことも加わり、一気に信者が離れ、不遇な晩年を送った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「飯野吉三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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