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飯高 永雄(いいだか の ながお、生没年不詳)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。姓は宿禰のち朝臣。官位は従五位上・丹波守。 == 経歴 == 承和3年(836年)一族の全雄・弟高らとともに、宿禰姓から朝臣姓に改姓する。承和14年(847年)の時子内親王(仁明天皇皇女)〔『続日本後紀』承和14年2月12日条〕、嘉祥2年(849年)百済王慶明(尚侍)〔『続日本後紀』嘉祥2年正月22日条〕、嘉祥3年(850年)秀子内親王(嵯峨天皇皇女)と〔『続日本後紀』嘉祥3年2月25日条〕、仁明朝末にかけて後宮の女性が薨去した際に葬儀の監護を務める。また、嘉祥3年(850年)5月の仁明天皇崩御後の修六七日御斎会では東大寺使を務めた〔『日本文徳天皇実録』嘉祥3年5月3日条〕。 文徳朝に入り、仁寿2年(852年)播磨権介として地方官に遷任する。斉衡元年(854年)刑部少輔に任ぜられて京官に復すと、中務少輔・主税頭・大蔵少輔と文徳朝中盤は京官を歴任する。 文徳朝末の天安2年(858年)尾張守として再び地方官に転じると、清和朝でも越後守・丹波守と地方官を歴任した。またこの間、貞観5年(863年)には従五位上に昇叙されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「飯高永雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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