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飲中八仙(いんちゅうはちせん、いんちゅうはっせん)は、中唐初めの8人の酒豪(賀知章、汝陽郡王李璡(李憲の長子)、李適之、崔宗之、蘇晋、李白、張旭、焦遂)。また彼らを謳った杜甫の詩『飲中八仙歌』の略。 杜甫が八仙に因んで戯れに同時代の名だたる酒客8人を選び、『飲中八仙歌』を作った〔 「飲食事典」本山荻舟 平凡社 p48 昭和33年12月25日発行〕ことに由来する。 ==登場人物== ;賀知章 :賀知章、字は季真、四明狂客と号す。会稽の人。証聖初年進士に及第して、後に太子賓客、秘書監に至る。詩をよくして李白と交友があり、また草書と隷書に巧みであったという。無類の酒客にして脱俗の趣あり、後に官を辞して故郷に帰り道士となって86歳で没した。酔って馬に乗る姿は揺れる船に乗るかのようで、井戸に落ちてもそのまま眠り続けると歌う。 ;汝陽郡王李璡 :李璡は讓皇帝李憲の長子。汝陽郡の王に封ぜられる。太僕卿に至り釀王と号した。弓と鞨鼓に優れて叔父の玄宗はなはだしくこれを愛したと伝える。性謹直であったが無類の酒好きで、毎朝出仕の前に三斗の酒をあおり、途上、麹車に出会えば涎を流し、いっそ酒泉の王に封ぜられたかったと言ったと歌う。 ;李適之 :左丞相の地位にあった。毎日、一万銭を費やし、大鯨が百の川の水を吸い込むがごとき飲みっぷりであって、清酒は飲むが濁酒は飲まない言うと歌う。 ;崔宗之 :崔日用の子。侍御史、斉国公となった。美少年が杯を手に青空に白目をむけば、その輝かしさは美しい木が風に揺られるかのようと歌う。 ;蘇晋 :蘇珦の子。玄宗の詔勅などを起草し、太子左庶子、吏部侍郎となった。仏像の前で肉食はしないが、酔えば座禅などしていられないと歌う。 ;李白 :一斗の酒を飲めば百篇の詩が吐き出され、酒場で眠り、天子の召し出しがあっても「自分は酒飲み仙人」だとうそぶくと歌う。なお、日本の川柳に、これを踏まえた「李太白一合づつに詩を作り」「四日めにあき樽を売る李太白」といった句がある。 ;張旭 :三杯の酒で草書の達人と伝えられるが、王侯の前でも頭を剥き出しにして〔 当時の礼儀では甚だしい無作法にあたる。〕筆を揮い、その書は雲煙の湧きおこるかのようと歌う。 ;焦遂 :在野の人。五斗の酒で意気上がり、気炎を吐いては周囲を驚かせると歌う。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「飲中八仙」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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