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館山航空基地(たてやまこうくうきち、JMSDF Tateyama Air Base)は、千葉県館山市に所在する海上自衛隊の軍用飛行場である。艦載哨戒ヘリSH-60J・SH-60Kと救難ヘリUH-60Jを運用する第21航空群の航空基地となっている。 == 概要 == 館山航空基地は、もともと関東大震災によって隆起した浅瀬を埋め立てて旧海軍が建設した飛行場館山海軍航空隊の基地である。東京湾の防備を担当する海軍航空部隊の重要基地であり、横須賀鎮守府に所属している艦載機や水上飛行機、飛行艇も運用されていた。基地周辺には、本土決戦に備えて多数の地下壕や掩体豪が建設され、現在も残っている。基地の近隣には赤山地下壕があり見学可能な戦跡となっているほか、旧海軍の建造物は現在も司令部庁舎や国旗掲揚台として使用されており、基地専用の水源地も旧海軍が建設したものをそのまま使用している。基地の内外には、旧軍関係の石碑や史跡が数多く点在している。 終戦後、昭和20年9月3日から4日間アメリカ軍がスベリ地区から上陸して直接占領し、日本の本州で唯一の軍政が敷かれた。 戦後は海上保安庁の海上警備隊から保安庁警備隊となって館山航空隊が編成され、海上自衛隊航空部隊の発祥の地ともなった。現在は海上保安庁の羽田基地所属ヘリも、離着陸訓練のため頻繁に使用する。以前は、砕氷艦(南極観測観測船)しらせ艦載ヘリ部隊「しらせ飛行科」の基地となっていた。しらせ輸送ヘリS-61Aは退役して基地内に85号機が記念展示されている〔「しらせ飛行科」は、岩国航空基地へ移動しCH-101輸送ヘリコプターに更新され、第111航空隊支援の下、独立した艦(しらせ)所属航空部隊として再編されている。〕〔「館山時代は第101航空隊(再編後は第21航空隊)が整備支援を担当していた。〕。 ヘリコプター専用飛行場としては日本最大規模のヘリポートであり、毎年10月に行なわれる基地祭「ヘリコプターフェスティバルIN館山」で、厚木航空基地からは、アメリカ海軍のUH-60、木更津基地からは陸上自衛隊のUH-60J、浜松基地からは航空自衛隊のUH-60が飛来して、日本国内のすべてのUH-60シリーズのヘリコプターを見ることができる。 京都府舞鶴航空基地、青森県大湊航空基地、東京都硫黄島基地とともに第21航空群を編成し、護衛艦艦載ヘリコプター部隊の基地になっている。 かつては、「第101航空隊」による伊豆諸島での急患搬送が東京都から任されていたが、その後厚木航空基地・下総航空基地より救難ヘリコプターUH-60Jが移動し、救難任務を主体とする「第73航空隊」が新編された。 館山航空基地に近い館山港には、海上自衛隊専用岸壁があり、観艦式に参加する艦船の連絡艇が使用するなど、横須賀基地の補助的な役割を担っている。 滑走路のタイトルバックが有名なTVドラマ「Gメン'75」の撮影はここで行われた〔ただしタイトルバックに現れる75番滑走路は、当基地を含めいかなる航空施設にも存在しない。 滑走路に表記される番号は磁北からの方位角を表しており、01~36の範囲である(滑走路#滑走路の命名法)。〕。 一般見学者用に基地内に史料館があり、山本五十六元帥の揮毫のプロペラや零戦の栄エンジンのセルモーター、二式小銃などが展示されている。見学には事前の予約が必要である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「館山航空基地」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 JMSDF Tateyama Air Base 」があります。 スポンサード リンク
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