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饒宗頤(じょう そうい)は、中華人民共和国の学者、詩人、書道家、画家。研究分野は、考古学、文学、言語学、儒学、仏教学、敦煌学、音楽、歴史など人文科学の多岐にわたる。中国研究の泰斗。「中国の国学大師」〔中文wiki〕「東洋のレオナルド・ダ・ヴィンチ」ともいわれる〔「神戸新聞」(2007年10月3日号) 〕。香港在住。香港中文大学の終身主任教授。中華人民共和国国務院の国家古籍整理委員会顧問。 == 経歴 == 父親の饒鍔は海法政学院に学んだ人で、潮州の新聞『粤南報』の編集長だった。 少年時代から学問の道を志し、18歳の時に著した論文『広東潮州旧志考』が専門家の目に止まり、歴史雑誌『禹貢半月刊』に掲載された。父親が早世したため、その研究成果など遺品を整理するために大学への進学を断念した。 19歳の時には中山大学から招請を受け、広東通志館で責任者となった。 1939年8月、中山大学から研究員にと招請を受けるも、香港経由で移動する際に病気になり、治癒した後も香港に留まる。 1940年、24歳で『楚辞地理考』を完成させる。1941年、香港への日本軍進攻のため、掲揚に疎開。 新中国の成立が宣言された1949年、『潮州志』を出版するために香港へ。そのまま移住することになった。 中国の無錫国専の教授のほか、香港大学、シンガポール大学など数々の大学で研究を重ね、香港中文大学の終身主任教授。同大学名誉教授。米国のエール大学、フランス国立社会科学高等研究院、フランスのソルボンヌ大学、日本の京都大学の客員教授などを歴任した。 2000年、文豪の金庸らとともに香港政府から「大紫荊勲章」を受章〔大紫荊(だいジーケン)は別名「香港ラン」といわれる花。同章は、香港における最高位の勲章。同章受章者には、実業家の李嘉誠(1997年)、香港政務長官を務めた陳方安生(1999年)らがいる。〕。 フランス学士院の碑文・文芸アカデミーから、世界的に優れた東洋学者に贈られるジュリアン賞を受賞。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「饒宗頤」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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