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香住 佐代子(かすみ さよこ、1917年10月28日 - )は、日本の女優である〔''香住佐代子''、''jlogos.com'', エア、2013年2月22日閲覧。〕〔''香住佐代子''、日本映画データベース、2013年2月22日閲覧。〕〔''香住佐代子''、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月22日閲覧。〕〔''香住佐代子''、映連データベース、日本映画製作者連盟、2013年2月22日閲覧。〕〔''香住佐代子''、KINENOTE, 2013年2月22日閲覧。〕〔''香住佐代子''、日活データベース、2013年2月22日閲覧。〕〔''香住佐代子''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月22日閲覧。〕。出生名丸山 菊代(まるやま きくよ)〔〔、結婚後本名山本 菊代(やまもと きくよ)〔キネマ旬報社, p.48.〕。1930年代・1940年代の片岡千恵蔵プロダクション、日活京都撮影所、大映京都撮影所での剣戟映画のヒロイン女優として知られる〔。 == 人物・来歴 == 1917年(大正6年)10月28日、東京府東京市下谷区竹町(現在の東京都台東区台東3-4丁目)に生まれる〔〔。 1935年(昭和10年)3月、旧制・上野高等女学校(現在の上野学園高等学校)を卒業し、京都に移って片岡千恵蔵プロダクションに入社する〔〔。同年11月29日に公開された『黄昏地蔵 前篇 疾風転変の巻』(監督振津嵐峡)に出演、主演の片岡千恵蔵の相手役に抜擢されて、満18歳で映画界にデビューした〔〔。1937年(昭和12年)4月、同プロダクションが解散し、プロダクションごと日活京都撮影所に招かれた際に、千恵蔵らとともに同撮影所に移籍した〔〔。同プロダクションの最終作品である『松五郎乱れ星』(監督衣笠十四三)にも出演しており、同作は同年7月1日に日活の配給によって公開されている。 同撮影所では、『自来也』(監督マキノ正博、1937年)や『鴛鴦道中』(監督マキノ正博、1938年)といった千恵蔵主演作にひきつづき出演したほか、阪東妻三郎が主演した『恋山彦 風雲の巻』『恋山彦 怒濤の巻』(監督マキノ正博、1937年)や『飛龍の剣』(監督稲垣浩、1937年)、嵐寛寿郎が主演した『髑髏銭 前篇 風の巻』『髑髏銭 後篇 雲の巻』(監督辻吉郎、1938年)や『鞍馬天狗 龍攘虎搏の巻』(監督松田定次、1938年)などに出演、好演を評価された〔〔。満23歳を迎えた1940年(昭和15年)10月 - 11月に公開された『まぼろし城』三部作(監督組田彰造)で演じた「韋駄天おすみ」役で、人気がヒートアップしたとされる〔〔。 1942年(昭和17年)1月10日、戦時統合により大映が設立され、同撮影所が大映京都撮影所となった際には、同社に継続入社した〔〔。第二次世界大戦終結後も、引き続き同撮影所に所属、満30歳を目前とした1947年(昭和22年)秋、同年3月11日に公開された『闇を走る馬車』で共演した16歳上の剣戟俳優・市川朝太郎(本名 山本幸三郎)と結婚、1男をもうけた〔〔。当時、市川・香住夫妻が所属した大映には、市川の実弟である映画監督・加戸敏(本名 加藤善太郎、1907年 - 1982年)が在籍していた〔。しかしながら、夫の市川は、結婚の約1年半後の1949年(昭和24年)2月16日、満47歳で死去してしまった〔〔。『王將』(監督伊藤大輔)への出演以降、しばらくのブランクを経て、図らずも夫が亡くなり、その後の復帰作は、同年4月17日に公開された木村恵吾監督の『花くらべ狸御殿』であった〔〔〔〔〔〔。 翌1950年(昭和25年)には、大映東京撮影所に異動して、そもそもの出身地である東京に戻った〔〔〔〔〔〔〔。その後は多くの現代劇に助演し、1961年(昭和36年)に大映を退社した〔〔〔〔〔〔〔。同年、大映テレビ室(現在の大映テレビ)が製作、フジテレビジョンが放映した連続テレビ映画『少年ジエット』(当時の放映題は『新少年ジエット』)に出演、同作への出演を最後に、満44歳で引退した〔〔〔〔〔〔〔。劇場用映画への最後の出演作は、同年4月26日に公開された井上梅次監督の『五人の突撃隊』で演じた、川口浩演じる橋本上等兵の母親役であった〔〔。 1998年(平成10年)11月に上梓された書籍『美剣士』(ワイズ出版)の企画協力に名を連ね、円尾敏郎によるインタヴューが掲載されて、満81歳当時の健在が確認された〔円尾・高橋, p.1.〕。2004年(平成16年)8月に発行された『映画論叢』通巻9号には、円尾によるインタヴュー『香住佐代子、香住佐代子と年中思って暮らしております』が掲載された〔映画論叢, p.92-127.〕。2006年(平成18年)6月5日付の円尾のブログに「香住佐代子さんは、足の骨を折ってから連絡がとれなくなった」と記述されて以降の消息が不明である〔2006年6月5日(月) 円尾敏郎 覚え書き 、円尾敏郎、2013年2月23日閲覧。〕。存命であれば、現在満歳である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「香住佐代子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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