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香川勝雄 : ミニ英和和英辞書
香川勝雄[かがわ かつたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

香川勝雄 : ウィキペディア日本語版
香川勝雄[かがわ かつたか]

香川 勝雄(かがわ かつたか)は、戦国時代安芸国武将。安芸国中城主。安芸香川氏の一族で、家臣として使えた。鎌倉権五郎景政十九代の末孫。詳細な家系は不明だが、香川光景の弟に「香川学雄」という人物がおり、勝雄本人もしくは近い人物の1人の可能性もある。
== 生涯 ==
永正12年(1515年)に安芸香川氏の一族として生まれたと言われている。

永正15年6月中旬、母が女児を出産するがすぐに母子共に亡くなった。鹿島流の兵法を学んだ剣道の達人である父勝直に幼い頃から鍛えられるが、大永6年2月、父勝直(38歳)も病気で亡くなる。

15人力の剛勇の士として知られ、主君香川光景に仕えていた。

武田の大軍が八木城に攻め寄すと聞き、盲目であった勝雄は主君に申し訳ないと切腹をしようとするが、忠僕又五郎の諫言によって思いとどまり、阿生山の麓、柏渓山(浄楽寺付近)中の大岩のある川辺に草庵を作って必勝を祈念していた。

香川氏が毛利氏に従うと、勝雄もそれに従い、数々の戦で活躍した。永禄12年(1569年)、尼子勝久率いる尼子再興軍は、出雲国伯耆国の旧尼子勢力を結集し、美作国に侵入、毛利氏の守る高田城への攻撃を開始した。高田城を守るは香川光景、広景春継。しかし城内には元尼子の降将が多数おり、内応者が続出し苦境に立たされた。香川勝雄はその混乱に乗じて攻撃を加えてきた尼子・三浦連合軍と、その支援に来た宇喜多勢と戦い、討死した。

また、勝雄の小姓又五郎は勝雄討死後、勝雄の首を奪い合う者たちを斬り伏せたが自身も寸断に切られ討死。又五郎は最後まで勝雄に忠僕であった。

勝雄の奮戦によって、高田城は落城を免れた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「香川勝雄」の詳細全文を読む




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