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香川登枝緒 : ミニ英和和英辞書
香川登枝緒[お]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [お]
 【名詞】 1. cord 2. strap 3. thong 

香川登枝緒 ( リダイレクト:香川登志緒 ) : ウィキペディア日本語版
香川登志緒[かがわ としお]
香川 登志緒(かがわ としお、1924年大正13年)8月23日 - 1994年平成6年)3月29日)は、日本喜劇作家。漫才作家。大阪府生まれ。晩年に香川登枝緒と改名した。本名は加賀 敏雄(かが としお)。生前には1917年(大正6年)生まれと自称していた。
== 来歴・人物 ==
幼いころに父を失い母一人で育てられた、子供のころは病弱で外で遊ぶのではなく自宅にいることが多く唯一の楽しみが家族でデパートや百貨店に行くことだった、そんな時に近所のおばさんに「成駒屋行くけど付いて来るか?」と言われてっきり百貨店行くものだと思い付いて行ったら中座初代中村鴈治郎の芝居であった、それがきっかけで劇場や寄席に興味を持ち通いつめ初代中村鴈治郎、初代桂春團治横山エンタツ花菱アチャコなどの芸に親しみ、のちに桂米朝から「大阪の笑芸の古い話を聞きたい時は香川さんに」といわせるほどの、笑いについての知識を身につける。
戦時中から寄席の楽屋に出入りするようになり1943年(昭和18年)には吉本興業が立ち上げた漫才の研究会「八起会」の漫才作家に抜擢される。太平洋戦争に従軍し、関東軍に配属された。満洲で捕虜となり、1947年に復員
1958年(昭和33年)に朝日放送の専属となり、ダイマル・ラケットのラジオ・ドラマ「スカタン社員」の作者となる。1959年、テレビで「ダイラケ二等兵」が始まると、香川もテレビ喜劇の脚本家となった。
以降も、日本のテレビ草創期から、数々の喜劇番組の脚本家として活躍し、日本のお笑い芸能史に多大な足跡を残した。漫才の台本も数多く手掛け、主に関西を中心に若手漫才師の育成に尽力した。
その脚本においては、その芸人の特性を熟知して執筆にあたり、一見「アドリブ」と思われるギャグもすべて、事前に香川の脚本に書き込まれており、通常のコメディ番組の脚本の3倍ほどの厚みがあったという〔小林信彦『日本の喜劇人』〕。
なお、東京及び東京人が嫌いと公言し、基本的に東京では仕事をしなかったが、1967年にTBSで制作された『植木等ショー』では、渡辺晋からの依頼で番組開始前のブレーン役を務めた〔小林信彦『喜劇人に花束を』〕。
晩年は、自らタレント活動も行い、また、藤山寛美の「松竹新喜劇」の座付作者でもあった。
藤田まことが歌った『てなもんや三度笠』の主題歌(林伊佐緒 曲)の作詞を手掛けたことでも知られている。
また、生前は、関西の古い笑芸についての生き字引的存在であり、著書『大阪の笑芸人』にその貴重な知見をまとめている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「香川登志緒」の詳細全文を読む




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