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馬場小室山遺跡(ばんばおむろやまいせき)は埼玉県さいたま市緑区馬場、三室、松木にまたがる遺跡。縄文時代中期から晩期の集落跡である。遺跡の面積は約152,000m²であったが、2003年に競売にかけられ、さいたま市より売却されて、その一部である約4000m²が2005年(平成17年)3月にさいたま市指定文化財史跡となった〔馬場小室山遺跡のフォーラムを開催 朝日新聞2005年9月29日〕。2015年(平成27年)3月には、埼玉県史跡に指定された。 == 概要 == 大宮台地上の盛土遺構を伴う大規模な集落跡で〔文化財紹介小室山遺跡 さいたま市教育委員会HP〕、東浦和駅の北東約3km、見沼から南に入り込む谷に添った台地上にある〔。遺跡のうち、史跡に指定されている部分はさいたま市立三室中学校の南に隣接している〔空撮 馬場小室山遺跡・環状盛土遺構 国土地理院 1974年〕。 遺跡のあった場所は里山であり、深い雑木林となっており、近代に至るまでほぼ手付かずの状態で縄文時代の遺跡として残っていた。1969年から合計32回に亘って学術調査が行われ〔縄文人の生活に迫る 産経新聞2005年9月23日埼玉版〕、1993年には旧浦和市が区画整理事業の中でこの遺跡を史跡公園として残そうと計画し、周辺の土地を買い上げていた〔馬場小室山遺跡 - 「縄文文化の正倉院」と称されるほど多くの遺構・遺物を出土した縄文遺跡 〕。しかし、バブル経済崩壊後の経済不況の中、区画整理事業も頓挫し、2003年に土地は競売にかけられた。開発業者のアイダ設計がこれを落札し、宅地開発されることとなった。これに対する遺跡の保存運動には5500人の署名が集まった〔馬場小室山遺跡の「環状盛土遺構」と考古学研究上の意義 (日本考古学協会会員 鈴木正博)〕。2004年9月にさいたま市教育委員会による学術調査が終了し、宅地として開発が進んだ。残された遺跡遺構の東側部分(さいたま市立三室中学校南側の雑木林)〔縄文集落跡に学ぶ歴史 埼玉新聞2005年9月26日 〕は2005年3月、さいたま市指定文化財史跡に指定された〔「縄文遺産」継承しよう 東京新聞2005年9月23日埼玉版〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「馬場小室山遺跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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