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馬場愿治 : ミニ英和和英辞書
馬場愿治[ばば げんじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うま]
 【名詞】 1. (1) horse 2. (2) promoted bishop (shogi) 
馬場 : [ばば]
 【名詞】 1. horse-riding ground 
: [ば]
 【名詞】 1. place 2. field (physics) 

馬場愿治 : ウィキペディア日本語版
馬場愿治[ばば げんじ]

馬場 愿治(ばば げんじ、1860年10月8日万延1年8月24日) - 1940年昭和15年)11月13日)は、日本の裁判官大審院部長で退官後、中央大学学長を務めた法学博士である。
== 生涯 ==
会津藩に士籍を有し〔『福島誌上県人会』「馬場愿治」〕〔東洋新報社編『大正人名辞典』(1917年)「馬場愿治」〕、のち福島県議を5期務めた馬場庄平の次男である〔『福島誌上県人会』「馬場愿治」〕。会津若松英語学校などで修学したのちに上京し、中村正直の私塾、東京英語学校(官立)を経て東京大学予備門に進む。 1885年(明治18年)7月、東京大学法学部を次席で卒業〔『東京帝国大学卒業生氏名録』(1926年)〕。
;司法官として
馬場は司法省御用掛となり、東京始審裁判所詰として裁判官のキャリアを開始する。横浜地裁東京地裁東京控訴院での勤務を経て1896年(明治29年)に浦和地裁裁判長、翌々年に大審院判事となる。1899年(明治32年)には、略一年の外国出張を経験した。1906年(明治39年)から1913年大正2年)まで控訴院長(函館、広島)を経て大審院部長(民事)となる。在任中に博士会の推薦で法学博士の学位を授与され、また判事検事登用試験弁護士試験の各委員長を兼務している。退官は1923年(大正12年)2月で、親任官待遇を受けることとなった〔「特ニ親任官ノ待遇ヲ賜フ 判事 馬場愿治」〕。
;中央大学
馬場は裁判官としての勤務の傍ら中央大学などで教鞭をとった。大学を卒業後ただちに英吉利法律学校東京専門学校に出講し、以後 第一高等学校東京高商慶應義塾専修学校和仏法律学校で講義を行った。1917年(大正6年)に中央大学理事、1923年(大正12年)に学長事務取扱となり、1926年(大正15年)から1930年(昭和5年)の期間は学長を務める。馬場の学長在任中に大学校舎の駿河台への移転、中央大学商業学校(中央大学高等学校の前身)の創立が実施された。学長辞任後は顧問として同大の運営に関わっている。
;その他
川面凡児が創立した稜威会の第二代会長であり、会津会会員〔『会津会会員名簿』(大正8年6月発行)〕〔*>中央大学創立者の一人である西川鉄次郎も会員であった。〕、同評議員〔『馬場愿治先生追慕録』182頁〕でもあった。高等官一等、正三位勲一等瑞宝章に叙されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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