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馬弔(マーディアオ)は、馬吊とも書き、中国の伝統的なカードゲーム用のカードである。4つのスートからなる40枚のカードで、現代の中華圏で使われている紙牌や麻雀の先祖にあたる。またトランプもこのカードが中東を経由して西洋に伝わったものとする説が有力である。 古い文献では葉子戯・葉子格戯と呼ばれているが、葉子戯は時代と文脈によってすごろくの一種であるダイスゲームとも、後世の馬弔の原型としてのゲームとも、馬弔自体とも、馬弔のカードを使ったゲームの総称とも、一般に紙牌を使ったゲームの総称とも解釈される多義語であることに注意しなければならない。 == 唐・宋の葉子戯 == 「葉子戯」という語は唐の蘇鶚の同昌公主伝(『杜陽雑編』下、9世紀末)にはじめて見える。 欧陽脩『帰田録』(11世紀)によれば〔欧陽脩『帰田録』巻二:「葉子格者、自唐中世以後有之。説者云、因人有姓葉、号葉子青(一作清、或作晋)者撰此格、因以為名。此説非也。唐人蔵書皆作巻軸、其後有葉子、其制似今之策子。凡文字有備撿用者、巻軸難数巻舒、故以葉子写之、如呉彩鸞『唐韻』・李郃『彩選』之類是也。骰子格、本備検用、故亦以葉子写之、因以為名爾。唐世士人宴聚、盛行葉子格。五代国初猶然、後漸廃不伝。今其格、世或有之而無人知者、惟昔楊大年好之。仲待制簡、大年門下客也、故亦能之。大年又取葉子彩、名紅鶴・皂鶴者、別演為鶴格。鄭宣徽戩・章郇公得象、皆大年門下客也、故皆能之。余少時亦有此二格、後失其本、今絶無知者。」〕、唐代の葉子戯はすごろくに似た、サイコロを使ったボードゲームであった。古くは書物は巻物の形式で記していて不便であったので、唐代に至って袋綴じの「葉子」または「策子」(冊子)とよばれる形式に取ってかわられた。すごろくの賞品もチェックしやすいように葉子に記していたため、葉子格と呼んだのである。北宋の程大昌(12世紀)も「葉子」を冊子のことと解釈している〔(宋)程大昌『演繁露』:「古書不以簡策、縑帛皆為巻軸、至唐始為葉子。」〕。 明の銭易編『南部新書』には、朱全忠がさいころを使って葉子戯を遊んだという故事が見える〔(明)銭易『南部新書』癸(第十巻):「梁祖初革唐命、宴於内殿、悉会戚属。又命葉子戯、広王忽不擲、目梁祖曰:『朱三、你愛他許大官職、久遠家族得安穏否?』於是擲戯具於階、抵其盆而碎之。」〕。欧陽脩は自分が少年のときに葉子はまだあったが、後に失われたと言っており、11世紀にはすでに葉子戯は基本的にすでに失われていたことがわかる〔。清の高士奇の記すところによると〔(清)高士奇『天禄識余』:「葉子、如今之紙牌・酒令。鄭氏書目有南唐李後主妃周氏編『金葉子格』、此戯今少伝。漁洋『南唐宮詞』云『花底自成金葉格』、恵棟註引此。」〕、南唐の李後主の妃の周氏に『金葉子格』という書があったという。このダイスゲームは後世に伝わっていないが、清初の文人である王士禎『南唐宮詞』に「花底自成金葉格」という詩句が見える。 葉子戯の起源は諸説紛々としている。葉子格が唐初の天文学家張遂(一行禅師)によって発明されたという伝説があり、それによると「葉子」という字を分解すると「廿世李」になり、唐王朝の世が20代にわたることを暗示しているという〔(宋)王闢之『澠水燕談録』巻九:「唐太宗問一行世数、禅師制葉子格進之。葉子、言『二十世李』也。」〕。別の伝説では〔、葉子格は唐中葉にはじめて出現し、発明者が葉子青という名前だったためにその名がついたという。類似の伝説ではこのゲームは唐末に葉子という婦人が発明したという〔(宋)馬端臨『文献通考』:「『葉子格戯』一巻、晁氏曰、不箸撰人。世伝、葉子、婦人也、撰此戯於晩唐之時。」〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「馬弔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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