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馬武 : ミニ英和和英辞書
馬武[ば ぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うま]
 【名詞】 1. (1) horse 2. (2) promoted bishop (shogi) 

馬武 : ウィキペディア日本語版
馬武[ば ぶ]

馬 武(ば ぶ、? - 61年)は、後漢の武将。字は子張(しちょう)。南陽郡湖陽(河南省唐河県)の人(『後漢書』列伝12・本伝)。光武帝の功臣であり、雲台二十八将の15位に序せられる(『後漢書』列伝12)。
==事跡==

王莽の末に、竟陵と西陽で挙兵があった時に加わり、緑林軍の兵となり、漢兵と連合した。更始帝が立つと、侍郎となった。劉秀と共に昆陽で王邑・王尋と戦い、振威将軍となった。尚書令謝躬に従いて、邯鄲に立った群雄王郎を攻めた。邯鄲が落ちた時、劉秀は宴を開き、謝躬を斬ってその軍を収めんと謀るが果たせず、代わりに馬武を高台に招きて曰く「上谷漁陽の突騎を得たが、将軍にこれを率いさせんと思う。どうかな」。馬武は「のろまで臆病、方策も持っていません」と返す。劉秀は「将軍は熟達し、どうして我が属官と同じであろうか」と言い、馬武はこれにより心を寄せた。謝躬が誅されると、馬武は射犬に馳せて帰順した。劉秀はこれを喜び左右に置いた。河北の流賊と戦うに、攻める時は軍峰となり遮る者無く、破れた時はすなわち殿となり、却って敵陣を陥れた。
建武1年(25年)、光武帝は即位し、馬武を侍中、騎都尉と為し、列侯と為した。
建武4年(28年)、蓋延と共に劉永を討つ。別に済陰を撃ち、成武、楚丘を下して、捕虜将軍を拝した。
建武5年(29年)、反した龐萌を諸将と共に戦い破った。
建武6年(30年)夏、祭遵耿弇らと共に公孫述を撃つべく天水に入るが隗囂が叛旗を翻し、漢軍に利あらず、を退く。この時、隗囂は追撃するが、馬武は殿となりこれを返り討ちとし、漢軍は長安に戻ることが出来た。
建武13年(37年)、下曲陽に駐屯し匈奴に備えた。軍の役人を殺したことを咎められ、国に就けと詔を受けるが、洛陽に行きて将軍の印綬を返還する。この時、戸五百を削られ楊虚侯と為ったが、洛陽に留まり朝請を奉じた。
建武25年(49年)、中郎将として、武陵の蛮夷を撃った。明帝の時代にも、再び捕虜将軍となり、西羌を撃ち破る功を為した。
永平4年(61年)、卒した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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