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馬込文士村(まごめぶんしむら)は、大正後期から昭和初期にかけて東京府荏原郡馬込村を中心に多くの文士、芸術家が暮らしていた地域の呼称である。現在の住居表示だと東京都大田区の山王、馬込、中央の一帯となる。 == 歴史 == 馬込文士村の舞台となる馬込村(現在の北馬込、南馬込などの馬込地区一帯)および入新井(いりあらい)村(現在の山王、中央付近)は江戸時代までは農村地帯であった。〔大田区立郷土博物館編(1989)86-94pp.〕この農村地帯に最初に変化を与えたのが、1876年に開業した東海道線(京浜東北線)の大森駅の開業である。これにより、現在の山王一帯は東京近郊の別荘地として開発されるようになり、文化人の往来も見られるようになった。〔 明治時代の終わりころになるとまず芸術家や詩人達中心となって山王一帯に住むようになり、馬込文士村の原型を作ったと見る事ができる。主なメンバーは日夏耿之介、小林古径、川端龍子、伊東深水、片山広子、真野紀太郎、長谷川潔らがおり、大正時代に入ると彼らは「大森丘の会」〔それ以前は「木原会」という大森駅周辺在住の芸術家が中心となったグループがあった。「大森丘の会」はそれに文人などが加わり発展したもの。出典:大田区立郷土博物館編(1989)94p.〕と称した会合を当地にあった「望翠楼ホテル」で頻繁に行っていた。この会合は各芸術家などの連帯感を強め、それぞれの作品に影響を与えたものと言われている。 大正12年(1923年)になると後に馬込文士村の中心的な存在となった尾崎士郎が馬込に引っ越してくる。尾崎士郎は当地が気に入り、知り合いの文士達にしきりに当地に引っ越してくるように勧誘していたと言われている。〔〔馬込文士村サイト 〕 これに拍車をかけたのが同年に起きた関東大震災で、東京市内は壊滅的な被害に見舞われた。家を失った人が徐々に郊外に移ってきて、東京近郊であった馬込など馬込文士村周辺も農村から住宅地へと徐々に変貌していくようになる。またこの頃は近辺に現在の東急線も開通するようになり、これらにより馬込地域の人口は大正末期から昭和初期頃にかけて劇的に増加した。。〔 そのような背景もあってまた尾崎士郎や萩原朔太郎などの誘いもあって、多くの文士達が大正末期頃から徐々に 馬込一帯に住んでくるようになった。そして大正末期頃から昭和初め頃にかけていわゆる「馬込文士村」が形成されたとされている。特に中心人物であった尾崎士郎の住居は「馬込放送局」とまで言われた。〔大田区立郷土博物館編(1989) 12p.〕 文士達の交流はとても密で酒や、麻雀、ダンス〔ダンスは衣巻省三の家で行われる事が多かった。出典:大田区立郷土博物館編(1989)30p.〕、文学談義などを共にしたと言われている。 この頃は尾崎士郎をはじめ、今井達雄、川端康成、衣巻省三、榊山潤、藤浦洸、間宮茂輔、広津和郎、宇野千代、佐多稲子、吉屋信子、村岡花子、萩原朔太郎、室生犀星、三好達治らがいる。 このように多彩な顔ぶれで、彼らの文学作品などにも、大きな影響を与えた。メンバーも売出し中の作家や、すでにある程度の評価を得ていた作家など様々で、後に名声を得た文士もいる。〔ただし、野村裕「馬込文士村の作家たち」などでも、指摘されている通りこの時代の作家たちの生活はある程度名前が売れていても、生活は苦しかったものという認識が現在では一般的である。馬込文士村の作家たちも例外ではなく、多くの若手文士が馬込に移住したのも家賃が手頃だったというのも一因にあるという指摘も多い。出典:大田区立郷土博物館編(1989)93-94pp.〕この時代が馬込文士村の最盛期と見る向きもある。〔 この馬込文士村の賑わいは、尾崎士郎が馬込を一時的に去った昭和5年(1930年)頃まで続いた。〔 これ以降は、馬込の地を離れた文士もいたりして、人気は落ち着いたが当地にそのまま住居を構えた人物も多く、交流は続いた。そのような交流は戦前まで続いた。この時代あらたに文士村に入った人物は稲垣足穂、小島政二、佐藤惣之助、竹村俊郎などがいる。〔馬込文士村と呼ばれる文士達の特筆すべき交流はおおよそ第二次世界大戦前まで終わったものとされている。〔 ちなみに中心的な存在であった尾崎士郎はまた再び馬込の地に戻ってきて、当地で生涯を終えた。このように馬込の地にそのまま定住し、馬込で生涯を終えた文士も多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「馬込文士村」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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