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馮子振 : ミニ英和和英辞書
馮子振[こ, ね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

馮子振 ( リダイレクト:禅林墨跡#馮子振 ) : ウィキペディア日本語版
禅林墨跡[ぜんりんぼくせき]

禅林墨跡(ぜんりんぼくせき)とは、禅林高僧真跡のこと。印可状字号法語偈頌遺偈尺牘などがある。単に墨跡ともいい、墨蹟墨迹とも書く。
墨跡という語は中国では真跡全般を意味するが、日本においては禅僧の真跡という極めて限った範囲にしか使わない習慣がある。その二義を区別するため、近年、後者を多くは禅林墨跡といい、その書風禅宗様という(本項で単に墨跡は禅林墨跡を指す)〔中西慶爾 p.595〕〔中西慶爾 p.897〕〔峯岸佳葉(決定版 中国書道史) pp..127-128〕〔小松茂美 pp..26-27〕〔鈴木翠軒 p.133〕。
== 概要 ==

墨跡は武士が台頭した鎌倉時代に中国から伝来した。当時の日本の書道は、しばらく中国との国交が途絶えていたため和様色一色であったが、この時期に再び日中の交流が禅僧によってはじまり、代の禅宗の伝来とともに、精神を重視する自由で人間味に富んだ禅僧の書が流入した。これが武士階級の趣向と合致して多大な影響を及ぼし、墨跡という新しい書の分野が生まれ、日本の書道史上、重要な位置を占めるようになった。
さらに室町時代茶道が流行すると、墨跡は古筆切とともに茶席の第一の掛軸として欠くことのできない地位を獲得し、一国一城をかけても一幅の墨跡に替えるといった狂言的な風潮も生まれた。特に江戸時代大徳寺の禅僧の間で流行し、多くの墨跡が遺され、今日ではそれが墨跡の主流となっている〔〔〔可成屋 pp..4-5〕〔二玄社(書道辞典) p.239〕〔山内常正 pp..56-57〕〔名児耶明(決定版 日本書道史) pp..87-91〕。
; 墨跡の二義の由来
: 墨跡という語の用例として、古くは中国・六朝時代の『宋書范曄伝に、「示以墨蹟」〔諸橋轍次 3巻 p.258〕〔『宋書』范曄伝の原文〕と見えるが、この語が広く普及したのは宋代になってからである。その中で当時の禅僧の書が数多く含まれた禅僧の詩文集に、単に真跡を意味する語として墨跡と記されていた。まさにこの頃、鎌倉時代の日本の禅僧が入宋し、禅を学び、持ち帰った禅僧の書を特に意味のないまま墨跡と称していたが、やがて専ら禅僧の書を指すようになったと推察される〔〔神田喜一郎(宋代禅僧の墨跡) pp..19-24〕。
: 日本で墨跡を禅僧の真跡という限定した意味で使用した古い例としては、貞治2年/正平18年(1363年)の年紀を有する『仏日庵公物目録』〔『仏日庵公物目録』(ぶつにちあんくもつもくろく)は、円覚寺塔頭・仏日庵に蔵した書画の著録のこと(神田喜一郎(宋代禅僧の墨跡) p.19、堀江知彦 pp..746-747、峯岸佳葉(決定版 中国書道史) p.127)。〕があり、「墨蹟」という項目を設けて中国の禅僧の書と記している。法然日蓮ら他宗の僧侶の筆跡に対して墨跡という言葉が用いられた例はほとんどない〔〔〔堀江知彦 pp..746-747〕。
; 墨跡の書風
: 墨跡は本来、印可状字号法語など、法のために書くものであって、書として鑑賞するために書いたものではない。したがって、それを書いた人物と内容が重視され、一般に書の巧拙を問題としない。つまり書法にとらわれず、各人が自在に自己の人間性を表現するものであり、自ずとその書風は千差万別であるが、概ね、北宋蘇軾黄庭堅風のもの、南宋張即之風のもの、元の趙孟頫風のものに分けることができる〔〔鈴木翠軒 pp..142-143〕〔鈴木洋保 pp..110-113〕〔中田勇次郎(書道藝術 中国書道史) pp..132-134〕。
; 墨跡の範囲
: 墨跡の範囲は、中国の宋・元代の禅僧の書、日本の鎌倉時代から室町時代前期までの五山全盛時代の禅僧の書、江戸時代の大徳寺や妙心寺の禅僧の書をさす。さらに黄檗の三筆に代表される黄檗宗の書も入れているが、その中心は臨済宗のものである。また例外的に居士である張即之と馮子振の書も墨跡として扱われる場合が多い〔〔。
: 墨跡は中国風の筆跡であるので広義には唐様の範囲であるが、一般に墨跡に対して唐様という表現はあまり用いない。唐様という語は実際にはもっと狭義に用いられ、江戸時代に儒学者漢学者の間に流行をみた筆跡をさす。その書風は墨跡にさらに文徴明董其昌や明末連綿草の書〔明末から清初に活躍した張瑞図黄道周倪元璐傅山らの連綿草の書を指す(石川九楊(日本書史) p.131)。〕の影響を受けたもので、墨跡と区別される〔梅棹忠夫 p.399〕〔可成屋 p.6〕〔伊藤峻嶺 p.129〕〔二玄社(書道辞典) p.52〕〔石川九楊(日本書史) pp..128-132〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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