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馮 弘(ふう こう)は、五胡十六国時代の北燕の第3代天王。 漢族出身で馮跋の末弟。父は馮安。もとは中山公となっていた。馮跋の病が篤くなると、妾の宋氏が後継者の馮翼を差し置いて我が子を即位させようと謀った。馮弘はこの対立につけこんで宋氏を殺し実権を握ると、それを知った馮跋がショックのあまり急逝した。そこで馮弘は天王となり、翼ら馮跋の子全員を殺害した。 南朝宋へ入朝し、燕王に封ぜられた(435年 - 436年)。 北魏の攻撃を受けて国は滅び、高句麗に亡命したが、北魏の圧力を受けた高句麗によって438年に殺害された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「馮弘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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