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馮涵清 : ウィキペディア日本語版
馮涵清[ふう かんせい]

馮 涵清(ふう かんせい)は、中華民国満州国の政治家。汁青
== 事績 ==
最初は華北各省の地方法院で役職に就いた。後に北京政府陸軍総執法処秘書長、同処長を歴任する。次いで京奉鉄路局に転任し、総務処処長、同局長をつとめた。さらに、交通総司令部執法処処長にも任命されている。
1931年民国20年)に満州事変(九・一八事変)が発生すると、馮涵清は関東軍の支持により、奉天省実業庁庁長に任命された。翌1932年大同元年)3月9日、満州国が正式に成立し、翌10日、馮涵清は司法部総長に起用された〔「満州政府の閣員 昨日正式に発表」『東京朝日新聞』昭和7年(1932年)3月11日。〕。1934年康徳元年)の満洲帝国成立とともに司法部が改組されたが、引き続き司法部大臣として留任している。1937年(康徳4年)5月7日〔「満州国内閣改造きょう発表、六大官勇退」『東京朝日新聞』1937年5月8日夕刊。〕、司法大臣から退任し、同月中に満州重工業開発株式会社副総裁となり、また満州国協和会中央委員も委嘱された〔「建国の柱石 来朝諸氏来歴」『朝日新聞』1942年3月15日夕刊。なお、満蒙資料協会編(1943)、928頁は、満洲重工業開発副総裁に就任したのは、康徳4年12月のこととし、また、新京統制経済協力会会長にも就任したとしている。〕。
1942年(康徳9年)11月、東亜経済懇談会(会長:小倉正恒)満州本部長として来日しているところまでは活動が確認できるが〔「東亜経済懇談会 きょうから開催」『朝日新聞』1942年11月26日。〕、それ以降の馮の行方は不詳である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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