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馴れ合い解散(なれあいかいさん)とは、1948年12月23日の衆議院解散の通称〔読売新聞 1993年06月16日 東京朝刊 二面 02頁 「内閣不信任案 可決は戦後3回」〕。 ==概要== 1948年10月15日に第2次吉田内閣が成立した時、与党が少数派であり政権基盤が脆弱であった。そのため、解散総選挙をして政権基盤の強化をはかろうとした。しかし、日本国憲法第69条で内閣不信任可決による解散が明記されており、不信任可決なしで解散ができるのかという問題が発生していた。 吉田内閣は日本国憲法第7条第3号に衆議院解散の旨が記載されているため、69条所定に限定されず、不信任可決決議なしで衆議院解散ができると立場を取っていた。一方、野党は衆議院解散は69条所定に限定されるとし、不信任可決なしで衆議院解散はできないとの立場を取り、対立していた。 当時の日本はGHQ施政下にあったが、GHQは69条所定の場合に限定する解釈を取った。そのため妥協案として与野党が内閣不信任決議に賛成して可決させた上で、衆議院を解散するという方法を取った。この時の解散詔書には、「衆議院において内閣不信任の決議案を可決した。よって内閣の助言と承認により、日本国憲法第六十九条及び第七条により、衆議院を解散する。」と記載された。 このように、与野党のシナリオどおりに解散されたという経緯から、世間はこの解散を馴れ合い解散と呼ぶようになった〔読売新聞 2003年10月12日 東京朝刊 解説 13頁 「総選挙は与党常勝? 政権交代、わずか2例(解説)」〕。 奇しくも同日は、極東国際軍事裁判で死刑判決を受けた東条英機元首相らA級戦犯7人の絞首刑が執行された日でもあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「馴れ合い解散」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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