|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 駒 : [こま] 【名詞】 1. shogi pieces ・ 井 : [い] 【名詞】 1. well ・ 三 : [み] 1. (num) three
駒井 徳三(こまい とくぞう、1885年6月10日 - 1961年5月13日)は、満州国国務院初代総務庁長官。 == 略歴 == 滋賀県栗太郡常盤村字穴に、医師・駒井徳恒の二男として生まれる。京都府立二中、札幌農学校予科を経て、1911年、当時札幌にあった東北帝国大学農科大学農学部農業経済科を卒業する。 1912年8月、南満州鉄道株式会社に入社し地方部地方課に配属された。1920年、外務省アジア局嘱託となる。1925年、郭松齢らの満州独立運動に参加する。1931年、陸軍省嘱託となる。1932年3月、満州国国務院総務庁長官に就任する。同年10月、総務長官を辞任して、参議府参議となる。1935年、宝塚市に私塾の『康徳学院』を設立する。太平洋戦争後の1946年、GHQより出頭命令を受けたが戦犯とはならなかった。その後も、富士山山麓開発を手がけている。 1961年5月13日に死去。75歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「駒井徳三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|