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駒橋(こまはし)は、日本海軍の潜水母艦。 == 概要 == 当初は運送船として計画され、1914年(大正3年)に雑役船「駒橋丸」として竣工した。しかし直後に潜水母艦として使用されることとなった。当時まだ潜水母艦の類別が無かったため二等海防艦に類別され、艦名も「駒橋」となった。日本海軍最初の潜水戦隊(第4潜水戦隊)の母艦となり、大正期は韓崎とともに潜水母艦として運用された。 しかし艦型が小型だったため元々母艦任務には適しておらず、1924年(大正13年)に潜水母艦に類別変更はされたが、それ以降は馬公を基地とした測量任務に就いている。1932年(昭和7年)の改装の際に測量艦として整備され、その後は南洋群島や北方海域での測量、警備任務に当たった。 大戦中はアリューシャン方面の測量のほかは、日本近海、特に横須賀鎮守府管轄の由良内・横須賀・室蘭間船団の直接・間接護衛任務に従事した。1944年(昭和19年)に入り尾鷲を基地とした対潜掃討部隊の旗艦となったが、終戦直前の1945年(昭和20年)7月28日に同地で敵機の攻撃を受け損傷浸水し着底〔旧海軍軍艦のヘッドマーク「菊の御紋」、三重の寺に保管 - 産経新聞、2014年11月14日付。〕、そのまま終戦を迎えた。 なお、この「駒橋」に取り付けられていた「菊の御紋」は、尾鷲市にある曹洞宗金剛寺に保管されている。大日本帝国海軍の軍艦に取り付けられていた菊の御紋で現存しているものは、本艦を含め7例のみである〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「駒橋 (潜水母艦)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Japanese submarine tender Komahashi 」があります。 スポンサード リンク
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