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駒田 徳広(こまだ のりひろ〔本名の読みは「とくひろ」だが、入団時に「のりひろ」と呼称され、そのままうやむやになって本人も使い分けているという(『FLASH』2012年3月20日号での本人のインタビューより)。〕、1962年9月14日 - )は、奈良県出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、野球指導者、野球解説者、タレント。 満塁時の打席で無類の勝負強さを見せ、「満塁男」の異名を持った〔満塁男・駒田徳広の新記録は最後のグランドスラム 〕。現役時代は長身の中距離打者として、巨人と横浜で活躍。一塁手としては史上最多となる10度のゴールデングラブ賞を受賞した。 == 経歴 == === プロ入り前 === 小学生時代は野球の他に水泳もやり、県の大会で上位の成績を残していた〔2012年11月17日、朝日新聞・奈良版、朝刊〕。中学に入り本格的に野球を始める。1年生までは右打ちで、2年生から左打ちに転向〔2012年11月19日、朝日新聞・奈良版、朝刊〕。中学生時代は長身ながらも非力で、2番打者などで三遊間をゴロで抜けるヒットをよく打っていたというが、桜井商業高校時代は体格もよくなり、エースで4番打者として活躍〔 『問いただす“間違いだらけ”の打撃指導』(ベースボール・マガジン社:2011年6月)〕。イニングの先頭バッターで敬遠されたり、高校3年時、春季奈良県大会決勝戦での強豪天理高校戦において、無死満塁で敬遠されたというエピソードがある〔同じ試合の次の打席も満塁で迎え、満塁本塁打を放つ。しかし投手・駒田が藤本博史に満塁本塁打を浴びてチームは8-13で敗退している。〕。高校通算で43本塁打、打率.490を記録。高校では駒田の打撃練習の前に、打球の行方に注意を促す校内放送が流れるほど飛距離が凄かったという。地元のマスコミからは「奈良のマニエル」と呼ばれていた〔週刊読売 1980年12月〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「駒田徳広」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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