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駒込富士神社(こまごめふじじんじゃ)は、東京都文京区本駒込にある神社。祭神は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)。 == 概要 == 建立年は不明。拝殿は富士山に見立てた富士塚〔前方後円墳に近い形状で、古墳ともいわれている。〕の上にある。江戸期の富士信仰の拠点の一つとなった。現在に至るまで「お富士さん」の通称で親しまれている。 天正元年(1573年)、本郷村の名主の夢枕に木花咲耶姫が立ち、現在の東京大学の地に浅間神社の神を勧請した 。寛永5年(1628年)、加賀前田氏が上屋敷をその地に賜るにあたり、浅間社を一旦、屋敷の外の本郷本富士町〔現在の東京都文京区本郷七丁目。現在も同地に小さな祠がある。〕に移し、その後現在地に合祀した(時期不詳)。 江戸時代後期には「江戸八百八講、講中八万人(えどはっぴゃくやこう、こうちゅうはちまんにん)」といわれるほど流行した富士講のなかでも、ここは最も古い組織の一つがあり町火消の間で深く信仰された。火消頭の組長などから奉納された町火消の纏(まとい・シンボルマーク)を彫った石碑が数多く飾られている。 初夢で有名な「一富士、二鷹、三茄子」は、周辺に鷹匠屋敷があった所、駒込茄子が名産物であった事に由来する。「駒込は一富士二鷹三茄子」と当時の縁起物として川柳に詠まれた。 「一富士二鷹 三茄子」は江戸時代中期の1733年(享保18年)に江戸で刊行された『悉皆世話字彙墨宝(しっかい せわ じい ぼくほう)』(中村平五三近子)に、駒込富士神社にまつわる縁起物を詠った川柳「駒込は 一富士二鷹 三茄子」が文献上最古の記述として掲載されている。しかし、「一富士二鷹三茄子」を紹介する文献は同時代に数多く見られ、その中でこの時代より前(江戸時代初期説あり)に広く流布していたことが解説されている。 縁日の山開き(現在6月30日~7月2日)では土産の駒込ナスが名物だったが、現在では周辺の宅地化により茄子の生産は全くなく、土産の茄子も売られていない。鷹匠屋敷跡は現在、駒込病院が建っている。 2006年(平成18年)に文京区指定民族有形文化財に指定された掛軸5幅、祭具類1式などの資料の多くは文京ふるさと歴史館にある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「駒込富士神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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