翻訳と辞書
Words near each other
・ 駭
・ 駭く
・ 駮
・ 駯
・ 駰
・ 駱
・ 駱俊
・ 駱家輝
・ 駱牙
・ 駱秉章
駱統
・ 駱賓王
・ 駱駝
・ 駱駝の戦い
・ 駱駝祥子
・ 駱駝騎兵
・ 駲
・ 駳
・ 駴
・ 駵


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

駱統 : ウィキペディア日本語版
駱統[らく とう]
駱 統(らく とう、193年 - 228年)は、中国三国時代の武将。公緒揚州会稽郡鳥傷県の人。父は駱俊。子は駱秀。
== 生涯 ==
父は国の相に昇進し、陳湣王の劉寵(明帝の後裔)に仕えたが、197年に陳国に侵攻した袁術によって劉寵とともに殺害された。
生母は駱統が8歳の時、当時袁術に仕えていた華歆の側室となっていった。駱統は生母と別れて、父の正室である嫡母と食客たちを引き連れ、故郷に帰ることになった。駱統の生母がこれを見送ったが、駱統は二度と振り返ることはなかった。
故郷では飢饉に苦しめられたが、駱統は自分の食事を減らしてまで、嫡母や後家となっていた姉によく仕えた。
20歳の時に、曹操の上奏によって会稽太守となった孫権に仕えた。孫権は駱統の行政手腕を見るため、彼を鳥程県の相に任命した。駱統は、ここで優れた行政手腕を発揮し功を挙げたため、喜んだ孫権から功曹に任じられ、騎都尉とされた。さらに孫権の従兄孫輔の娘を娶る事まで許された。
駱統が数十もの上書を行ない、孫権の施策を是正することに務めたため、孫権もこの意見を受け入れた。建忠中郎将となり、弓兵三千人を率いた。淩統が亡くなると、その軍勢の指揮を任された。この頃に伝染病が流行すると、駱統は民衆が疲弊するのを見て憂い、上疏を行なって孫権を感嘆させた。
222年蜀漢劉備が侵攻してきた時、陸遜に従ってこれを破るという功績を挙げ、偏将軍となった。同年、曹丕が濡須に攻め寄せてきた時に、曹仁が部将の常雕に命じて川の中洲を攻撃してきたが、駱統はこれを厳圭と共に撃退した。この功績により、新陽亭侯に任じられた。
その後、濡須督として防衛を任されるなど、軍事面でも孫権から厚い信任を受け、重用された。
228年、36歳の若さで病死した。子は孫休に仕えて司塩校尉となったが、264年7月に海賊によって殺害された。
小説『三国志演義』では、名前しか登場しない。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「駱統」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.