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ラクダの戦い(、mawqiʿa al-Jamal)は、656年12月に起きたイスラム教徒間の戦闘。第4代の正統カリフに即位したアリーに対して、初代正統カリフ・アブー・バクルの娘で預言者ムハンマドの寡婦であるアーイシャ、古参の信徒(教友、サハーバ)のズバイル・イブン・アウワームとタルハが反乱を起こした。戦闘の名前は、アーイシャがラクダに乗って出陣したことに由来する〔ヒッティ『アラブの歴史』上、351-353頁〕〔佐藤『イスラーム世界の興隆』、84-85頁〕。 == 背景 == ムハンマドの存命中からムハンマドの従兄弟であるアリーと、ムハンマドの妻アーイシャの間には感情的な対立が生まれていた〔小杉『イスラーム文明と国家の形成』、187-188頁〕。ムスタリク族との戦いの後にアーイシャがムハンマド一行からはぐれたとき、アリーは神からの啓示が下るまでアーイシャの貞操を疑ったため、アーイシャはアリーに恨みを抱いていた〔〔前嶋『イスラム世界』、89-92,118頁〕。ムハンマド没後のカリフの選出にあたってアリーはムハンマドの葬儀を理由に参加せず、またアーイシャは妻であるにもかかわらず葬儀への参加を拒否され、アーイシャは強い不満を抱いた〔小杉『イスラーム文明と国家の形成』、188頁〕。そして、ムハンマドの娘であるアリーの妻ファーティマへの遺産相続はアーイシャの父であるアブー・バクルに認められず、アリー夫妻には不信感が残った〔。 第3代正統カリフ・ウスマーンの死後にアリーはカリフに推戴されるがカリフ就任の要請を一度拒み、ズバイル、タルハらメッカの政敵がバイア(忠誠の誓い)を行った後に即位した〔レザー・アスラン『変わるイスラーム』(白須英子訳, 藤原書店, 2009年3月)、190-192頁〕。アリーはアブー・バクルとウマルの採っていた政策に消極的であり、ムハージルーン(ヒジュラによってメッカ(マッカ)からメディナ(マディーナ)に移住したイスラム教徒)よりもアンサール(ヒジュラ以前からメディナに居住し、ヒジュラ後に改宗したイスラム教徒)寄りの立場をとっていた〔余部『イスラーム全史』、60-61頁〕。即位したアリーはウスマーンの暗殺に関与したすべての人間に恩赦を与え、多くのウマイヤ家出身の総督を更迭した〔。こうしたアリーの対処にウマイヤ家は不満を抱き、メッカに居住していたアーイシャの元に集まった人間はアリーにウスマーン殺害の責任を問う運動を起こした〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラクダの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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