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駿河台(するがだい)は、東京都千代田区の台地。秋葉原の南西、千代田区神田駿河台一丁目と二丁目に位置する〔隣接する神田小川町三丁目から三省堂書店神田本店にかけての界隈は、駿河台の高台から下ってきた所に当たるため「駿河台下」と呼ばれる。〕。 元は北の本郷台地の南端に当たる部分だが、江戸幕府二代将軍・徳川秀忠の命を受けた仙台藩祖・伊達政宗が1620年(元和6年)に仙台堀(神田川)を開削したことにより湯島台と駿河台とに分離され、孤立した高台となった〔(川副秀樹 著、『東京「消えた山」発掘散歩』 p.80-83)〕〔首都圏みやぎゆかりの地「仙台堀(神田川)」 (宮城県)〕〔(社団法人日本地下鉄協会「SUBWAY 日本地下鉄協会報 第194号」 2012年8月31日発行)p.48-50〕〔(一般財団法人橋梁調査会) p.33〕〔(公益財団法人東京都公園協会)〕。神田川を挟んで北側に位置する湯島台とは、聖橋とお茶の水橋により台地上端の標高で結ばれている。削って下町を埋めたために、今は台地ではないところもある。 == 特徴 == 「神田四学」という私立の法律学校4校(明治・日本・中央・専修)が明治時代に創立され、以来、日本大学(理工学部、歯学部)や明治大学本部を初めとする私立大学や駿台予備学校などの予備校・専門学校が多く集まっているほか、神田川の対岸は東京医科歯科大学、順天堂大学、近隣には専修大学、東京電機大学等が存在し、国内最大の学生街となっている。かつては中央大学や東京高等商工学校(埼玉工業大学)なども駿河台に本部を置き、明治時代には法政大学の校舎もあった。なお、明治大学、日本大学はともに法律学校から始まっている。またかつて本拠を置いていた中央大学も、法律学に強みを持つ大学である。特に中央大学とこの地のかかわりは深く、中央大学を「駿河台の法科」と称していたように以前は駿河台といえば中央大学であった。 明治時代初期には清朝留学生が多く住み、「東京の中華街」と呼ばれた。 キリスト教・正教会の一員たる日本ハリストス正教会の本拠ニコライ堂(東京復活大聖堂)が当地にある。 駿河台日本大学病院、杏雲堂病院など、病院が多く存在するほか、学生向けから発展したスポーツ用品店、楽器店なども多い。隣接する神田神保町は日本最大級の古書店街である。 1960年代後半の全共闘運動では、多くの大学が存在したことから、「神田カルチェラタン」「日本のカルチエ・ラタン」とよばれ、警察との対決の主戦場となり、一時は「神田解放区」を現出させた。(神田カルチェ・ラタン闘争) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「駿河台」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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