|
驪姫(りき、? - 紀元前651年)は晋の献公の寵姫。 異民族の驪戎の娘であったが、献公が見初めて驪姫の妹と共に後宮入りして寵愛された。 晋に連れて来られた当初は自らの境遇を嘆いていたが、献公の寵姫としての贅沢な暮らしに慣れてしまうと、かつて自分が悲しんだことを後悔したという〔荘子 内篇 斉物論第二〕。 献公との間に生まれた自分の息子の奚斉を太子として立てようとして献公を操り、驪姫以外との女性の間に生まれたら他の公子達を策略を使い次々と抹殺していった。この際、のちに晋を継ぐ重耳と夷吾の兄弟が晋から逃亡することになった。 これは驪姫の乱と呼ばれ、政治的混乱を引き起こし、このため晋の国力は一時期大いに低下した。献公が没して一ヵ月後、献公の部下のが反乱を起こし、驪姫は奚斉や驪姫の妹一族共々殺害された。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「驪姫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|