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高丘河内 : ミニ英和和英辞書
高丘河内[たかおか の かわち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [きゅう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
河内 : [はのい, かわち]
 【名詞】 1. Hanoi 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 

高丘河内 : ウィキペディア日本語版
高丘河内[たかおか の かわち]

高丘 河内(たかおか の かわち/こうち、生没年不詳)は、奈良時代貴族文人歌人氏姓は楽浪(無姓)のち高丘。子に比良麻呂がいる。官位正五位下大学頭

== 経歴 ==
天智天皇2年(663年)に百済より帰化した沙門・詠の子孫〔『続日本紀』神護景雲2年6月28日条〕〔河内を詠の子にあてる系図もある(鈴木真年『百家系図稿』巻9,高丘宿禰)〕。
和銅5年(712年播磨大目を務めていた際、力を尽くして正倉を建てた功績により、従八位上から正八位下に昇叙されるとともに、10疋と麻布30端を与えられた〔『続日本紀』和銅5年7月17日条〕。養老5年(721年橘佐為山上憶良らと共に、教育係として退朝後に皇太子・首皇子(のちの聖武天皇)に侍すよう命じられ〔『続日本紀』養老5年正月23日条〕、また文章道に優れていることを賞され絁15疋・絹糸15絇・麻布30端・20口を与えられている〔『続日本紀』養老5年正月27日条〕。神亀元年(724年聖武天皇即位後に、楽浪(さざなみ。無姓)から高丘連改姓する。
天平3年(731年従五位下右京亮に叙任される。天平13年(741年遷都に伴って人民に宅地を分け与えるために、智努王藤原仲麻呂らとともに恭仁京へ派遣され〔『続日本紀』天平13年9月12日条〕、のち恭仁京の造宮輔を務める。しかし、翌天平14年(742年)8月には聖武天皇の紫香楽村への行幸のために、智努王らとともに造離宮司に任ぜられ〔
『続日本紀』天平14年8月11日〕、結局天平15年12月(744年1月)には恭仁京の造営は中止された〔『続日本紀』天平15年12月26日条〕。
天平17年(745年)14年振りに昇叙されて従五位上になると、翌天平18年(746年)には内位従五位下に叙せられるなど、聖武朝末に続けて昇叙される。孝謙朝でも順調に昇進し、天平勝宝3年(751年)従五位上、天平勝宝6年(754年正五位下に叙せられている。またこの間大学頭も務めた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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