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高倉 殿継(たかくら の とのつぐ、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。氏姓は高麗朝臣のち高倉朝臣。遣高麗大使・高麗大山の子。官位は従五位上・肥後守。 == 経歴 == 宝亀8年(777年)訪日していた渤海使・史都蒙の帰国にあたり、殿継は送高麗使に任命された(この時の官位は従六位上・大学少允)〔『続日本紀』宝亀8年5月23日条〕。同年殿継は渤海に渡るが、遠く辺境の地へ漂着して船が破損してしまう。しかし渤海より船2艘を与えられ〔『続日本紀』宝亀10年正月5日条〕、翌宝亀9年(778年)9月に張仙寿を随行して帰国し越前国三国港に到着〔『続日本紀』宝亀9年9月21日条〕、同年10月には従五位下に叙爵された〔『続日本紀』宝亀9年10月6日条〕。宝亀10年(779年)同族の高麗福信らとともに高倉朝臣姓に改正している〔『続日本紀』宝亀10年3月17日条〕。宝亀11年(780年)治部少輔に任ぜられる。 桓武朝に入ると、大判事〔『続日本紀』天応元年5月25日条〕・下総介〔『続日本紀』延暦元年3月29日条〕・玄蕃頭〔『続日本紀』延暦5年10月8日条〕・皇后宮亮〔『続日本紀』延暦6年9月17日条〕・大和介〔『続日本紀』延暦7年2月6日条〕・主計頭〔『日本後紀』延暦18年2月7日条〕と内外の諸官を歴任する。延暦23年(804年)駿河守〔『日本後紀』延暦23年正月24日条〕に転じると、延暦25年(806年)肥後守と〔『日本後紀』延暦25年正月28日条〕、桓武朝末から平城朝にかけて地方官を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高倉殿継」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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