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高勢實乘 : ミニ英和和英辞書
高勢實乘[たか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [はずみ]
 【名詞】 1. (1) bounce 2. spring 3. rebound 4. (2) momentum 5. inertia 6. (3) spur of the moment

高勢實乘 ( リダイレクト:高勢実乗 ) : ウィキペディア日本語版
高勢実乗[たかせ みのる]

高勢 實乘(たかせ みのる、明治30年(1897年12月13日 - 昭和22年(1947年11月19日)は、日本の俳優である。サイレント映画時代から活躍していたが、トーキー以降の「わしゃかなわんよ」、「アーノネおっさん」等のギャグで知られる。本名能登谷 新ー(のとや しんいち)。
== 来歴 ==
1897年1890年生説が多くみられる(ほか)が、函館市役所のサイト内の「はこだて人物誌 高勢実乗 (能登谷新一) 」もしくは『別冊毎日グラフ』(1966年3月号、毎日新聞社)等の記述を採用した。〕(明治30年)12月13日北海道庁函館区(現在の北海道函館市)に生まれる。1905年(明治38年)、7歳のときに上京し、舞台にあがる。
長じてからは中部名古屋で、「高勢 實」の名で一座の座長をつとめ、まじめな芝居で売っていた。東京の新派の大御所に、全国に名を知られ、名優と呼ばれた高田実がおり、高勢は「名古屋の高田実」と評判されたほどで、「高勢實」の芸名もこれに因んでいる〔『ひげとちょんまげ』(稲垣浩、毎日新聞社刊)〕。
1915年(大正4年)、日活の前身の一社M・パテー商会の経営者だった梅屋庄吉の新会社M・カシー商会が製作した映画『竜神の娘』が、高勢が映画に出演しているもっとも古い記録である。1919年(大正8年)4月30日に公開された天然色活動写真(天活)製作の田村宇一郎監督の葛木香一主演作『孝女白菊』にも出演している。
同年、日活向島撮影所に二枚目で入社、役者時代の衣笠貞之助らと共演後、まもなく退社、翌1920年(大正9年)にはすでに国際活映角筈撮影所に移籍している。細山喜代松畑中蓼坡作品に出演するが、やはり長続きせず、24歳を目前にした1921年(大正10年)秋には、帝国興行の協力を得て「高勢映画研究所」を設立、映画製作に乗り出す。しかしこれも3か月で終了する。
1923年(大正12年)9月1日関東大震災を経て、京都に移り、1925年(大正14年)初頭に東亜キネマに入社する。仁科熊彦作品に重用されるも、1926年(大正15年)には衣笠の『狂つた一頁』の現場に身を投じ、相馬 一平(そうま いっぺい)と名乗り、以降衣笠映画連盟の設立に参加、『十字路』など連続的出演を重ねた。
その後、松竹下加茂撮影所に入り、時代劇に出演したが、林長二郎(長谷川一夫)と息が合わず、松竹を退社〔『ひげとちょんまげ』(稲垣浩、毎日新聞社刊)〕。その次に「高勢 實乘」の名で嵐寛寿郎プロダクションに入社した。
1928年(昭和3年)、30歳で日活太秦撮影所に入社。日活時代の初期は伊藤大輔監督の『御誂次郎吉格子』の目明し仁吉、『興亡新撰組』の伊東甲子太郎、辻吉郎監督の『血煙荒神山』の安濃徳など、主演の大河内傳次郎に対抗する陰険なキャラクターの悪役を演じた。現存の『血煙荒神山』のフィルムでは、大河内との激しい立ち回りが残されている。
転機は1932年(昭和7年)の伊丹万作監督片岡千恵蔵主演の『國士無双』であった。伊勢伊勢守役におけるコミカルな演技が評判となり、喜劇役者に転向、その後山中貞雄監督の『怪盗白頭巾』『丹下左膳余話・百万両の壺』『河内山宗俊』などに出演。
ここではアメリカの喜劇コンビであるローレル・ハーデイを真似て、鳥羽陽之助との「極楽コンビ」シリーズが大当たり。40歳になった1938年(昭和13年)に東宝に移籍、と極めて順調に、口元の隠れる長い鼻鬚と八の字眉、丸い目張りと独特のメイキャップにより、異様な風体を印象づけ、強烈な脇役キャラとして人気を博した。とくにコメディアン転向、およびトーキー以降に本領を発揮した。一世を風靡した「あ-のね、おっさん。わしゃかなわんよ」〔1969年から放送されたアニメハクション大魔王の前半放送回で、主人公が話のラストで、そのまま、もしくは多少もじって用いられている〕のギャグが、戦時中、厭戦的であるとの理由から軍によって封印された際には、巡業で糊口を凌ぐなど辛酸をなめる。
終戦後の1945年(昭和20年)、斎藤寅次郎監督、古川緑波横山エンタツ花菱アチャコ初代柳家権太楼石田一松らと共演した『東京五人男』に出演。闇で裕福となった農民役が好評で、喜劇役者として復活をめざした矢先の1947年(昭和22年)11月19日に死去。満49歳没。遺作は斎藤寅次郎監督の『浮世も天国』。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高勢実乗」の詳細全文を読む




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