翻訳と辞書
Words near each other
・ 高原英理
・ 高原草地
・ 高原製粉精米水車場
・ 高原諏訪城
・ 高原通
・ 高原遊
・ 高原郁夫
・ 高原郡
・ 高原郷
・ 高原野菜とカツの弁当
高原院
・ 高原須美子
・ 高原駅
・ 高原駅 (咸鏡南道)
・ 高原駿雄
・ 高収入
・ 高取
・ 高取 (広島市)
・ 高取り法
・ 高取トンネル


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

高原院 : ミニ英和和英辞書
高原院[こうげん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
高原 : [こうげん]
 【名詞】 1. tableland 2. plateau 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation

高原院 : ウィキペディア日本語版
高原院[こうげん]
高原院(こうげんいん、慶長8年(1603年) - 寛永14年4月23日1637年6月15日))は、尾張藩初代藩主徳川義直正室。名は春姫(はるひめ)。父は紀州藩初代藩主浅野幸長、母は正室の池田恒興の娘。
慶長8年(1603年)、和歌山城で誕生する。慶長14年(1609年)に徳川義直と縁談をし、元和元年(1615年)に結婚する。寛永10年(1633年)に義直の2子と江戸に移るまで、名古屋城の本丸御殿に居住した〔その後大名の妻子は江戸に住むことになり、また名古屋城本丸御殿は将軍の御成り御殿となった。しかし将軍家光の来名後は実質の「空き御殿」となった。すなわち春姫は名古屋に居住した唯一の尾張家正室であり、義直と春姫の夫婦は本丸御殿に居住した唯一の藩主夫婦である。〕。2人の間に子供が生まれないまま、寛永14年(1637年)に35歳で死去し、萬松寺に葬られた。戒名は高原院大岳宗椿大禅尼。春姫には子供がなかったが、謹厳実直な義直は側室を置こうとはしなかった。しかし尾張徳川家の存続という責務も果たさねばならず、土井利勝は公命により側室を置くことをすすめた。(『金府紀較』)
後に義直の跡は側室の子である徳川光友が継いでいる。
春姫の嫁入りが名古屋の豪華な結婚式のルーツとされており、毎年4月に市民団体「本丸ネットワーク(前・名古屋城文化フォーラム、旧・本丸御殿フォーラム)」が名古屋城の本丸御殿再建を目指すため「春姫道中」として嫁入りを再現したイベントが名古屋城等で行われている。〔春姫道中が本丸御殿再建のイベントとなったのは、彼女が本丸御殿に居住した唯一の女性だからである〕
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高原院」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.