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高句麗語(こうくりご)は、高句麗(紀元前37年 - 668年)の領域で使用されていた言語のことである。高句麗の滅亡とともに衰退し、言語としては消滅したと見られている。言語系統はツングース系とされてきたが〔 *濱田耕策「夫余、高句麗、沃沮を構成したツングース系の諸族(Yahoo!百科事典)」 *諏訪春雄「朝鮮で高句麗や百済を建国した夫余族はツングース系の遊牧民族(学習院大学教授 諏訪春雄通信 )」 *黄文雄「遼東や北満の地は、かつて高句麗人、渤海人などの(中略)ツングース系諸民族が活躍した地である(黄文雄『韓国は日本人がつくった』)」「高句麗の主要民族は満州族の一種(中略)高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数民族の一つ、満州族の祖先である(黄文雄『満州国は日本の植民地ではなかった』)」 *鳥越憲三郎「高句麗は紀元前1世紀末、ツングース系の濊族によって建国(鳥越憲三郎『古代朝鮮と倭族』)」 *山川出版社『世界史用語集』「【高句麗】中国東北地方東部のツングース系貊族の夫余族の国」 :(夫余とは、 : *村山正雄「古代中国の東北地方に割拠していたツングース系と思われる民族(Yahoo!百科事典)」 : *佐々木史郎「夫余と靺鞨はツングース系の民族ではないかと考えられている(Yahoo!百科事典)」 : *山川出版社『世界史用語集』「【夫余】同じツングース系の勿吉に滅ぶ。百済の王は夫余族と言う」 *護雅夫「高句麗は東北アジア、満州にいたツングース系民族であり、4世紀から6世紀の初めにかけての最盛期には朝鮮半島の大半と南満州とを勢力圏に収めた(Yahoo!百科事典)」 *井上満郎「【高句麗】貊民族の一部によって築かれた国家(京大日本史辞典編纂会編『日本史事典』)」 *宮脇淳子「高句麗人は、南満州で半農半牧の生活をしていた貊人の一種である(宮脇淳子『世界史のなかの満洲帝国』)」 :(貊とは、山川出版社『世界史用語集』「【貊族】紀元前7世紀~紀元前6世紀以降河北省長城地帯から中国東北地方にいたツングース系民族で、漢族・モンゴルに系に圧迫されて東方に移り、のちの夫余・高句麗を建国」) *室谷克実「(中国の史書には)高句麗などのツングース系民族と韓族との間には、比較の記述がない。(民族が)違うことが大前提であり、わざわざ違うとは書いていない(室谷克実『日韓がタブーにする半島の歴史』)」 *広辞苑「【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙の建国という」 *大辞泉「【高句麗】紀元前後にツングース系の扶余族の朱蒙が建国」〕 、現在では独立した扶余諸語(扶余語族)に属すとされることが多い。 == 概要 == 中国史料の記述によれば、扶余・東沃沮・濊・百済(支配層)の各言語とは同系とされ、中国東北部から朝鮮半島北部にかけて扶余諸語(扶余語族)を形成していたらしい。この言語グループは沿海州の挹婁とは、「容貌は似ているが言語は異なる」と『後漢書』や『三国志』に記されている。また、朝鮮半島南部に広がっていた韓系諸語(馬韓・弁韓・辰韓ら古三韓の言語。後の百済の被支配層の言語が属す)とも言語的な異同が著しかったようである。 具体的な言語資料としては、『三国志』東夷列伝高句麗条や後漢書東夷列伝高句麗条、『日本書紀』に記述されている断片的な高句麗語の記録もあるが、最大のものは三国史記(1145年成立)の巻37・高句麗地理志と巻35・新羅地理志に記述されている高句麗地名から地名学的手法により導き出された高句麗語語彙である(内藤湖南・新村出1916年、桜井芳朗1952年)。最新の論考には板橋義三のものがある(2003年)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高句麗語」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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