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高向 国押(たかむく の くにおし、生没年不詳)は、7世紀後半の官人。名は国忍とも書く。姓は臣。高向宇摩の子とする系図がある〔宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年〕。子に麻呂がいる。官位は大花上(大宝律令制の正四位に相当)・刑部尚書。 == 経歴 == 蘇我氏の配下にあったが、皇極天皇2年(643年)、山背大兄王が生駒山に逃げ込んだ際、蘇我入鹿の王追捕の命に従わず、皇極天皇の宮を守った。 皇極天皇4年(645年)、乙巳の変では、中大兄皇子(後の天智天皇)らにより入鹿が殺害されたために、漢直らと共に中大兄皇子と対立し、クーデター派に徹底抗戦の構えを見せたが、中大兄皇子の使者・巨勢徳多の説得を受け入れ、漢直を諭して軍陣を解くなど、十分事の理非をわきまえた人物であった。この時、国押は漢直に対して、主人である入鹿が討たれた今、蝦夷も今日明日中に討たれるだろうと述べた上で、『然らば誰が為に空しく戦ひて、盡に刑せられむか』〔坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋、校注『日本古典文學大系68 日本書紀 下』岩波書店〕と武装解除し、その場を立ち去ったと言う。 子の麻呂の薨伝によると、孝徳天皇朝(645年 - 654年)において刑部尚書に就いたという〔『続日本紀』和銅元年閏8月8日条〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高向国押」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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