翻訳と辞書
Words near each other
・ 高城町 (薩摩川内市)
・ 高城町 (鹿児島県)
・ 高城町古墳群
・ 高城町駅
・ 高城県
・ 高城県 (曖昧さ回避)
・ 高城精機製作所
・ 高城胤則
・ 高城胤吉
・ 高城胤辰
高城胤重
・ 高城警察署
・ 高城郡
・ 高城郡 (大韓民国)
・ 高城郡 (曖昧さ回避)
・ 高城郡 (朝鮮)
・ 高城郡 (江原道)
・ 高城郡 (鹿児島県)
・ 高城重躬
・ 高城駅


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

高城胤重 : ミニ英和和英辞書
高城胤重[たかぎ たねしげ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [たね]
 【名詞】 1. issue 2. offspring 3. paternal blood
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important

高城胤重 : ウィキペディア日本語版
高城胤重[たかぎ たねしげ]
高城 胤重(たかぎ たねしげ、慶長6年(1601年)-万治2年4月4日(1659年5月24日))は、江戸時代前期の旗本。父は千葉氏重臣で下総国小金城城主の高城胤則。母は柴田勝家の養女。幼名は辰千代。通称は清右衛門。初名胤次、後に重胤に改名する。妻は織田昌澄の娘。
父は豊臣秀吉小田原征伐北条氏側に与して改易されており、預け先の信濃国で生まれる。3歳で父を失うと、母方の縁戚である飯山藩主佐久間安政に育てられた。安政が大坂の陣で戦功を挙げたことに加え、大叔父である了学将軍徳川秀忠の信頼が厚かった事が幸いして、元和2年(1616年)に元服すると、直ちに秀忠への拝謁が許されて200俵の蔵米取格の旗本として召し抱えられた。2年後に御書院番に抜擢され、寛永10年(1633年)には、改めて武蔵国賀美郡及び下野国足利郡の内に知行400石が与えられた。後に700石にまで加増を受けた。慶安元年(1648年)には改易された丹波国福知山藩の城受取の使者として派遣され、2年後には目付に昇進する。
男子二人はいずれも夭折したため、丹波山家藩主谷衛広の実弟・貞胤を婿養子に迎えて万治元年(1658年)に目付を辞して隠居、翌年に病死した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高城胤重」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.