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高塚 光(たかつか ひかる、1950年〈昭和25年〉6月26日 - )は、日本の人物。情報サービス提供業務・広告代理店業務を請け負う株式会社ガブリエルの代表取締役社長。ヒーリング能力を持つ超能力者とされ、かつては会社員業の傍らで多くの人々にヒーリングを施していたことから、「超能力サラリーマン」と呼ばれて話題となった。「タカツカ ヒカル」とカタカナ表記を名乗っていた時期もある。山口県笠戸島出身。 == 来歴 == 法政大学卒業後〔、多くの職業を転々としたのちに東急エージェンシーに入社。1989年(平成元年)以降、同社の社内報や関連する雑誌社の雑誌記事にヒーリング能力者として紹介されて話題となり、高塚のもとへヒーリングを求める面会人が殺到。会社員業の傍ら、無償で面会人たちのヒーリングを行なう生活を送り始めた。面会の殺到にともなって本業にも支障を来したことから、自社ではやがて非常勤の嘱託社員の扱いとなった〔。退職にならなかったのは高塚の談によれば、東急エージェンシー側が彼の行為を自社にとって有益と見なしたことからという〔。 後に私設事務所・ジュピターを開設〔。1990年(平成2年)には同事務所のアシスタントの女性が超能力に覚醒したという触れ込みで、高塚のプロモーションのもとに超能力歌手「YUMIKO」としてデビューし、記者会見ではデビュー曲『スプーンの曲がったイブ』を歌いながらスプーン曲げを演じた〔。 東急エージェンシーが東映と関連していたことで、1994年(平成6年)には高塚の半生をモデルとした映画『超能力者 未知への旅人』が東映系で公開され、高塚自身も一部に出演した。映画上映と前後して各マスメディアにも顔を出し、一躍、時の人となり〔、同年8月に東映のセレモニーで行われた講演会では約500人が殺到するほどの人気を見せた。本業がサラリーマンであることから、マスコミでは「超能力サラリーマン」の呼び名で持て囃された〔。 ブームに便乗し、女性週刊誌の『女性自身』では「高塚光のスター“病霊”対談」、『週刊女性』では「高塚光の手かざしパワー!」と題し、芸能人ゲストを相手に超能力を実演する企画が連載された。ほかにもテレビ番組、ラジオ番組、新聞、週刊誌など多くのメディアに顔をだし、講演会でも活動した。当時の高塚の談では、話題に昇ったことで1日に平均13人、多いときには60人の面会人が訪れるようになり、それまでの5年間での面会相手の数は2万人以上に昇ったとのことだった〔。芸能界、スポーツ界、政界、財界の著名人も多く面会に訪れていたという〔。 しかし大ブームの反面、超常的な力を否定するような発言も次第に見られ始め〔、超能力者と呼ばれる自分を「うさん臭い」「いかがわしい」とも公言していた〔。『週刊朝日』『サンデー毎日』などの記事や『ビートたけしのTVタックル』の番組中で自身の能力の信憑性を批難されたこともあった。 1994年10月についに、『噂の眞相』に「“超能力”総懺悔」と題した手記を寄せ、自らを「インチキ超能力者」と称し、世間を騒がせたことを読者に対して謝罪した〔〔。手記中で高塚は、無償でのヒーリングと本業との両立をほぼ24時間行なう多忙な生活を続けた末、多数の面会依頼者を1人では到底対応しきれなくなったことを謝罪の理由と語っている〔。翌11月には日本テレビの『スーパースペシャル』に生出演し、番組の中で正式に廃業を宣言し、その後はメディアから姿を消しつつも〔、無償のヒーリングと講演を続行した。 2000年(平成12年)、インターネット向け番組制作会社「ナビードットコム」の設立に活躍。翌2001年(平成13年)、当時のプロ野球選手であった新庄剛志の渡米の応援のため、彼の愛車のインターネットオークションを大々的に開催するなど手腕を発揮した。同社の経営悪化にともない同年秋に社長に就任するが、業況は回復せずに事業継続を断念、翌2002年(平成14年)7月に破産に至った〔。 前述のように一度は超能力者として廃業宣言をしたものの自身の超能力を否定してはおらず〔〔、2006年(平成18年)にペ・ヨンジュンのセコムのコマーシャル出演決定時には、ペ・ヨンジュンの通訳者の脳出血を高塚がヒーリングで治療したことがきっかけで高塚が仲介役となったと報じられた。2010年の自著『誰でも簡単にできるセルフヒーリング入門』でも、自らを「超能力ヒーラー」と称している。 2011年(平成23年)の東日本大震災発生以降には、器具や薬を使うことなく自分で自分を癒すヒーリングが世間で必要とされると確信し、ヒーリング能力は自分だけでなく誰にでも潜在しているとし、多くの人々にヒーリング内容を伝える活動を行なっている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高塚光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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