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高塚 竹堂(たかつか ちくどう、本名・高塚 錠二(たかつか じょうじ)、1889年5月23日 - 1968年3月30日)は、日本の書家。かな書道の大家〔原田種成 p.66〕。 == 略歴 == 1889年(明治22年) - 5月23日に静岡県不二見村(現・静岡市清水区)に生まれる。 1915年(大正4年) - 文部省教員検定試験習字科に合格する。 1916年(大正5年) - 福岡県立嘉穂中学校(現・福岡県立嘉穂高等学校)の教諭となる。 1922年(大正11年) - 平和記念東京博覧会に於いて仮名部最高賞を受ける。 1925年(大正14年) - 大東文化学院(現・大東文化大学)の講師となる。 1947年(昭和22年) - GHQより米国陸軍の日本語学校教官に招聘される。12月に帰京する。 1949年(昭和24年) - 松本芳翠らと共に書道同文会を創設する。 1953年(昭和28年) - 東京学芸大学の教授となる。 1958年(昭和33年) - 日展の評議員となる。 1959年(昭和34年) - 日展の審査員となる。 1964年(昭和39年) - 書道同文会の会長(二代)となる。 1965年(昭和40年) - 鉄舟寺境内に喜寿記念胸像を建立し、台面に自作の句を刻む。 1967年(昭和42年) - 病院に入院中、勲四等旭日章を受章する。 1968年(昭和43年) - 3月30日に従五位に叙される。同日自邸にて逝去。4月5日に青山斎場にて告別式が行われる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高塚竹堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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