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高天神城の戦い(たかてんじんじょうのたたかい)は、武田勝頼と徳川家康の間で戦われた高天神城の2度の攻城戦を指す。このほか武田信玄なども同城を攻めている。 == 概要と前史 == 高天神城は元は今川氏の支城であったが、桶狭間の戦いから駿河侵攻にかけての今川氏の衰退・滅亡によって城主・小笠原氏興は徳川氏に付いた。遠江・駿河の国境近くにある高天神城は、徳川氏にとって遠江支配の重要拠点であった。 武田氏は駿河平定後、三河・遠江方面へ手を伸ばし始め、そのため徳川氏とは小競り合いが続く。元亀2年には、武田信玄が2万5000といわれる大軍を率いて三河・遠江に侵攻し、その際に高天神城を攻め同日撤退したといわれる〔近年の研究では、元亀2年の三河・遠江侵攻は天正3年の出来事で、実際には無かった可能性が指摘されている。詳細は西上作戦#研究史を参照のこと。〕。その翌元亀3年の西上作戦における遠江侵攻では、高天神城と徳川氏の本拠点・浜松城とを結ぶ遠江の要所・二俣城が陥落し(二俣城の戦い)、高天神城は孤立することになる。しかし、この時点ではまだ徳川氏の拠点として機能していた。 信玄の死後、後を継いだ武田勝頼も遠江支配強化のために高天神城を狙い、遠江支配の要として武田氏と徳川氏は高天神城を奪い合うこととなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高天神城の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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