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高安流(たかやす-りゅう)は能の流儀の一。ワキ方と大鼓方がある。 == ワキ方 == ワキ方高安流は金剛流の座付として活動した流儀。 河内国高安の人高安長助を家祖とし、子の与八郎が金剛座の脇の仕手であった金剛康季(後に十世宗家となる)の養子に入って家芸を興した。その後、初世高安重政(高安寿閑)が金春流のワキ方春藤友尊の女婿となって修行し、流儀を確立した。一説には春藤友尊を芸祖ともし、寿閑によって下掛りの芸風が完成され、本格的なワキ方の家として活動を行うようになったらしい。また寿閑の弟は大鼓方高安流を嗣いだ。 以来、金剛流の座付として代々ワキを勤めた。歴代のなかでは、二世高安重良(不休)、「首長」というあだ名があった三世高安重賢などが有名。維新後、十一世彦太郎が後嗣を欠いたまま没し(1870年)、宗家が絶えたが、金剛右京らの斡旋により彦太郎の高弟であった西村弘敬の子滋郎(十二世)が1929年に再興。弟(養子)の欽也が相続し十三世となり、現家元からは「高安」の姓に復する。 現家元は十三世高安勝久(十二世の子)。能楽協会に登録された役者は、2006年現在13名。宗家一門が名古屋を地盤として活動するほか、十一世の弟子で維新後名古屋から上京した大友信安の芸系が東京に、野村金剛家のワキ方であった岡次郎右衛門家の芸系が京都に伝わる。流勢は必ずしも盛んではない。詞章・謡は金剛流とほとんど変わらず、古風を存した芸風である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高安流」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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