|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 高 : [たか] 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money ・ 王 : [おう] 1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi)
大原 高安(おおはら の たかやす、生年不詳 - 天平14年12月19日(743年1月19日))は、奈良時代の皇族・貴族。当初高安王を称するが、大原真人姓を与えられ臣籍降下した。敏達天皇の孫である百済王の後裔〔『新撰姓氏録』左京皇別〕〔『本朝皇胤紹運録』では長皇子の孫で川内王の子とする。しかし、長皇子の生年は兄・大津皇子の生年(天智天皇2年(663年))以降である一方、高安王の生年は初叙の時期より持統天皇7年(693年)以前と想定されることから、高安王を長皇子の孫とするのは年代的に不自然である。〕。筑紫大宰率・河内王の子〔田中卓「紀皇女をめぐる論争について -併せて高安王の系譜を論ず-」『万葉』9,1953年〕。官位は正四位下・衛門督。 == 経歴 == 和銅6年(713年)無位から従五位下に直叙され、霊亀3年(717年)従五位上となる。その後、紀皇女(一説では多紀皇女の誤りとする)との密通を咎められて伊予守に左遷されるが〔『万葉集』巻12-3098〕、養老3年(719年)按察使が設置されると、阿波・讃岐・土佐の按察使を兼ねている。 左遷を受けながらも、養老5年(721年)正五位下、神亀元年(724年)正五位上、神亀4年(727年)従四位下と、元正朝から聖武朝初期にかけて順調に昇進する。聖武朝では摂津大夫・衛門督を務める。神亀6年(729年)に発生した長屋王の変以降昇進が止まったが、天平9年(737年)に藤原四兄弟が相次いで没すると従四位上に昇叙され、天平12年(740年)正四位下に至る。また、この間の天平11年(739年)には弟の桜井王・門部王らとともに大原真人姓を与えられ臣籍降下している。天平14年12月(743年1月)19日卒去。 万葉歌人として『万葉集』に和歌作品3首が採録されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大原高安」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|