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高山廣子 : ミニ英和和英辞書
高山廣子[たかやま ひろこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
高山 : [こうざん]
 【名詞】 1. high mountain 2. alpine 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

高山廣子 : ウィキペディア日本語版
高山廣子[たかやま ひろこ]

高山 廣子(たかやま ひろこ、1919年3月25日 - 没年不詳)は、日本の女優である〔盛内、p.55-56.〕〔''高山広子''、''jlogos.com'', エア、2013年2月26日閲覧。〕〔''高山廣子''、''仲上八洲子''、''藤原八洲子''、''高山裕子''日本映画データベース、2013年2月26日閲覧。〕〔''高山廣子''、''高山広子''、''仲上八洲子''、''高山裕子''、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月26日閲覧。〕〔''高山廣子''、''高山裕子''KINENOTE、2013年2月26日閲覧。〕〔''高山廣子''東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月26日閲覧。〕。
新漢字表記高山 広子、旧芸名仲上 八洲子(なかがみ やすこ)、君千代(きみちよ)、藤原 八洲子(ふじわら やすこ)、のちに高山 裕子とも名乗った〔〔〔。出生名仲上 ヤスエ(なかがみ やすえ)、結婚後本名上田 ヤスエ(うえだ やすえ)〔〔。『阿波狸合戦』、『歌ふ狸御殿』等の主演女優として知られる〔〔。
== 人物・来歴 ==
1919年大正8年)3月25日福岡県穂波郡飯塚町(現在の同県飯塚市)に生まれる〔〔〔。
1927年(昭和2年)、子役として、妹の仲上萩江とともに「仲上 八洲子」の名で、京都の阪東妻三郎プロダクションに入社、映画界にデビューした〔〔〔〔。一時期、キャバレーの舞踏団に入団して、「君千代」の名で舞踏の舞台に立ったこともあるという〔。1930年(昭和5年)には、帝国キネマ演芸に移籍している〔。満12歳になった1931年(昭和6年)8月28日、帝国キネマ演芸が新興キネマに改組されると、同社に継続入社した〔〔〔〔。同社では「高山 廣子」と改名した〔〔〔〔。満20歳になった1939年(昭和14年)には、同年4月13日に公開された『阿波狸合戦』(監督寿々喜多呂九平)、同年10月12日に公開された『狸御殿』(監督木村恵吾)に出演し、タヌキのお姫様(お黒)というあたり役を掴んでいく〔〔〔〔。
1942年(昭和17年)1月10日、戦時統制により、同社が日活の製作部門等と合併して大映が設立されると、高山は継続入社して、大映京都撮影所に所属した〔〔〔〔。同年5月14日に公開された、大映スター総出演による大作『維新の曲』(監督牛原虚彦)では、桂小五郎(のちの木戸孝允)を演じる市川右太衛門の相手役、幾松(のちの木戸松子)を演じ、同年11月5日に公開された『歌ふ狸御殿』(監督木村恵吾)でふたたび「お黒」を演じている〔〔〔〔。
1943年(昭和18年)、上田躬荘と結婚〔文藝春秋, p.264.〕〔鈴木, p.32.〕、翌1944年(昭和19年)、敗血症により左足首の切断を余儀なくされたという〔。この件について、大佛次郎は同年11月10日付の日記に「産後の故障にて足が腐り片方を切断するに至る」と、周囲から伝聞した話として記している〔大佛, p.72.〕。澤田隆治は、戦後、花菱アチャコと高山が共演する映画のために、京都の祇園にある高山の家に会いに行ったときのことを回想し、「病気か事故か、両脚を切断した」と記述している〔澤田, p.127.〕。
第二次世界大戦終結後も、引き続き大映、あるいは東横映画に出演していたが、満32歳を迎える1953年(昭和28年)に松竹京都撮影所に入社、これを機に「高山 裕子」と改名して、脇役に徹した〔〔〔〔。1965年(昭和40年)1月15日に公開された『いも侍・抜打ち御免』(監督松野宏軌)に出演したのを最後に、満45歳で引退した〔〔〔〔。以降の消息は不明である。没年不詳

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高山廣子」の詳細全文を読む




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