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高岡 倉太郎(たかおか そうたろう/くらたろう、弘化3年(1846年) - 歿年不詳)は、江戸時代の御目見以上の武士、彰義隊士、新撰組隊士。槍太郎、蔵太郎とも書かれる。 == 来歴 == *1846年(弘化3年)、麻島角右衛門の子息として江戸に生まれ、大和国高市郡池尻村に所領を持つ、旗本神保弾正忠の家臣高岡家の養子となる。宿所は、深川富川町。 *1868年(慶応4年)2月23日、賊軍である彰義隊結成に加わるが、その後、彰義隊から分かれた渋沢成一郎を盟主として、武蔵国西多摩郡田無村(現 田無市)に結集し、同年閏4月19日、賊軍「振武軍」に加わり軍目下役兼伍長となる。(この時、義弟の高岡倉次郎、高岡覚三郎らは抜刀隊に加わった) *1868年(明治元年)10月30日、箱館で編成された新撰組に加わり、翌1869年(明治2年)4月には、第一分隊所属隊士となり頑強な抵抗を続けるも、戦いに利あらず、賊軍に義あらず、戦うに不忠を悟り、遂に同年5月15日、弁天台場において降伏をする。然して、捕虜として弘前の薬王院に収監せられ、のち弁天台場に再送せられ二番長屋にて収監せられていたが、1870年(同3年)病院療養が許される。 *1871年(同4年)4月、静岡藩へ身柄を引渡され放免となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高岡倉太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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